アリスの受難
本編後。アリスがトラブルに巻き込まれるお話
ヴァーレントに盛大な啖呵を切ってから、少しの月日が流れた頃。
仕事は繁盛しているし、美味しいお菓子は毎日決まった時間に供給されるんだから――パートナーとの共同生活は有効距離の短さを除き、相変わらず大きな不満はない。
勿論、契約関係で何らかの進展が生じてほしいとは日々切実に願っているんだけど。今回のトラブルは、それが望んだ方向性じゃなかったのよね……。
一人で手早く済ませてきた仕事の帰路を、愛用の箒に腰掛けてすいすいと抜けていく。時間にゆとりがあるときは専ら移動手段に使っているし、穏やかな風を受けながら空を飛び回るのは実に心地よい。昼に差し掛かる前の柔らかな日差しも相まって、今日は絶好の飛行日和だった。
折角だし、雲の近くまで行ってみようかしら。
気分が乗ったこともあり、魔力を込めながら前方に広がる入道雲目掛けて一気にスピードをつけていく。目的物のやや手前でその場に滞空し、握りしめた箒の柄越しに足元の景色を見渡した。緑豊かな木々たちが弧を描くように生え揃う中――ぽっかりと空いた中央に、パートナーとの合流場所に指定した草原が広がっている。顔を上げて遠くに見える街並みをぐるりと堪能したあと、そのまま雲の中へ突っ込んでいこうとした矢先。
がくりと、相棒の動きが固まった。
魔力を注いでいるのにじわじわと高度を落としたかと思うと、ほぼまっ逆さまに近い体勢で上空から滑り落ちていく。
「ええっ……! どういうことよ!?」
身体全体にかかる凄まじい風圧と速度に耐えつつ、箒にしがみつきながら全身全霊で手元に魔力を込める。しかし、あたしの必死の行動も空しく――相棒はうんともすんとも反応しない。不測の事態に目を白黒させながら、代わりに防御障壁や他の魔術で凌ごうとしたけれど……それらも何故か一切使えなくなっていた。
四苦八苦しているうちに地面との距離があっという間に近づき、先ほどまで悠々と見下ろしていた森林が迫ってきて。視界いっぱいに広がる大振りの枝葉に、思わず顔を背けて精一杯仰け反る。目をぎゅっと閉じ、身体を思い切り強張らせて予測される衝撃に備えた。
暫く身構えたまま暗闇の時を耐えたけれど……未だに何かがぶつかるような痛みや感覚が襲ってくることはなく。不可解な現象に疑念を抱きながら、こわごわと目を開くと。あたしの身体は衝突寸前のところで――宙に浮いたまま、ぴたりと止まっていた。眼前に伸びた青々しい葉が鼻先をわずかに撫でたあと、ふわふわと緩やかに地上へ降下していく。
無事に地面へすとんと降り立ち、膝から足をついてその場にへなへなと座り込む。スリル満載な出来事と焦燥感によって乱れた息を少しずつ整えていると、聞き慣れた声が背後から耳に届いた。
「空からの帰還は見慣れたものですが……垂直落下とは物好きですね」
振り返った視界の先には、樹木の天辺から翼をたたんで優雅に降り立つパートナーの姿。肩の辺りまで伸ばした銀糸のような髪を揺らし、普段通りのにこやかな笑みを浮かべてこちらに近づいてきた。
どうやらさっきの芸当は、ヴァーレントの仕業のようね。
「あたしだってこんな事、したくてした訳じゃないわよ……。でも助かったわ。ありがとう、ヴァーレント」
向こうからの軽口に受け答えつつ、窮地を救われた礼を素直に述べる。目の前の青年は右手を軽く胸に沿え、仰々しいお辞儀をしてみせた。
「それは何よりです。……やはり、調子が芳しくないようですね」
「そうなのよね……」
相手の言葉に、ため息をこぼしながら首を傾げる。
確かにここ二日間ほど、魔術関係の効き目が悪い。試薬を作れば小分けした瓶によってムラが出るし、簡単な魔術でも失敗するときとすこぶる成果が良いときがあって。
何となく、魔力の微調整が上手くいかないというか――例えるなら、火力調節のつまみが壊れたコンロみたいな感じだ。
ただ、他の身の周りのことは特に変化もないし、体調不良という訳でもない。
……よりによって、一番得意な風の術で失敗するなんて。あたし、もしかして結構疲れてるのかしら……。
造形の深い分野でのトラブルに、脳裏でじっくりと思考を巡らせる。膝を抱えるよう回り込ませた腕にすっぽりと顔を埋めていると――突如、気さくなトーンの声音が頭上へ降り注いだ。
「よっ、ハロウィンアリス。元気にしてたかー?」
顔を上げて視線を前方へ滑らせると、飛び込んできたのは長い黒髪。あたしの通り名を軽快に呼んだ声の主は――呪いのシステムを定めた神、冥王だった。図書館での一件から会うこともなく、二度目の対面なんだけど……相変わらずの格好であちこちをうろついているようで。神官に扮したローブとフード付きのマントを纏い、黒い瞳をきらりと光らせながらあたしの様子を楽しげに覗きこんでいた。
神様の御前で流石に失礼かと思い、ひとまず手をついて立ち上がる。ヴァーレントの隣へ並びながら、相手へ向き直った。
「冥王じゃない。一体何の用よ?」
あたしの問いかけに、彼はひらひらと手を横に振った。
「いや、今回は俺の用事じゃなくて相方の代理だ。さっきの様子でお嬢ちゃんも分かっただろ?」
冥王にそう称される人物なんて、ただ一名しか考えられない。 もう一人の神、天王絡みってことなら――階級関係の用件ってことになるわけだけど。
「えっ。ってことは、もしかして……」
とある可能性に行き着いた推測の言葉は、口にする前に相手からさっと遮られた。
「おっと! それを伝えるのが今日のオレの仕事だぜー。えー……アリス・リーヴァレッタ。今日からお前の階級はビショップに降格だ」
* * * * *
目の前の人物から投げかけられた――耳を疑いたくなるような発言に、掴みかかるような勢いで相手に詰め寄る。
「はあ!? どういうことよ!」
階級が下がるってことは、あたしが持っている魔力のキャパシティが大幅に下がったってことになる。
一応、階級が変動する現象ってのはよくあることだ。あたしも白のナイトから始まって……現在は白のクイーンまで上り詰めたのだから。基本的には成長するにつれて階級は上がっていくパターンが多いんだけど、特殊な条件や何らかの影響で階級が下がる場合だって勿論あり得る。
……ただ、あたしとしては特別変なことをしでかした覚えもない。
「あたし、特に何もしてないんだけど」
若干不敬だと感じつつも、納得できない発言に眉根を寄せて胡乱気な視線を送る。しかし相手は気にすることもなく、頬を書きながらのんびりと話し始めた。
「そう言われてもなー……つい最近、大型の魔術使っただろ? その余波で魔力がガタ落ちしたんだろうなー」
「先日の……防護結界の件、でしょうかね」
こちらの様子を静かに見守っていたパートナーがぽつりと口にした内容には、一週間前の依頼で思い当たるものがあった。あの日は……逃げ出した小鳥の捜索で、街中を走り回ったんだっけ。
他の依頼も立て込んでいたし、逃げられないように市街地全域の空を覆う結界を張ったんだったかしら。そのおかげで目的の子を見失うこともなく、依頼主から感謝の言葉と大きなホールケーキが三つも贈られた。ちなみにそのあと――行儀の悪さとパートナーが若干引き気味に眺めているのを自覚しながらも、直接フォークを突き刺しながら一ホール美味しくいただいたことは鮮明に覚えている。
多忙に追われて記憶の底に沈んでいた案件を思い出し、思わず納得の声を上げた。原因が分かったところで、もう一度冥王に確認をとる。
「あー、あれのことね。それでも、一気に二つも階級が下がるなんて聞いたことないわよ……?」
相手はさも当然と言わんばかりの口調で、さらりと返してきた。
「そりゃ、魔力が少なくなってんのに普段通り使ってたら枯渇するに決まってるだろー。お前の場合は、それがトドメを刺した感じだな」
成る程……。依頼の件数が変わらないなら、魔力の消費量も同じであって。保有している魔力がジリ貧になっているのに普段の調子で使っていたから、電池切れを起こしたってことなのね。最近の不調の原因にもやっと合点がいったし、今日の案件もそれらが重なって生じたのだと理解する。
もし異変に気づけていたら、変動の幅も控えめだったのかしら。現実逃避に走りたくなる思考を抑えながら、仕事へ生じる影響を危惧していると……冥王はあたしと――続けてヴァーレントをそれぞれ指差した。
「というわけで。お前たち、契約解除されてるぞ。契約紙見てみなー」
はっきりと言い放たれた言葉に、すぐさまヴァーレントへ目を向ける。彼が胸ポケットから取り出した用紙を急いで覗き込むと――契約紙に書いてあった、お互いの名前が綺麗さっぱり消えていた。
「そっか。あたしが、白のビショップに降格したから……」
ヴァーレントは黒のキング、普段のあたしは白のクイーン。契約は階級の直近上下じゃないと結べない決まりだから、キング・クイーン・ルーク・ビショップと、三つ階級が離れた時点で強制的に解除されてしまったのね。
「本当ですね。となると……こちらはもう発動する状況ということでしょうか」
静かに述べたパートナーは、いつの間にか右手にジンジャークッキーを一つ携えていた。そのままあたしの右手首に左手を添え、掌をそっと上に向けられる。クッキー表面のざらりとした手触りを感じた途端、ヴァーレントが近くに居るというのに……砂時計が時を刻むときのような音を立てて、見事なまでの白い結晶に変貌を遂げてしまった。
恐る恐る人差し指で撫でるように触れ、口元に運んで少し舐めてみる。瞬時に、がつんとした強烈な塩気が舌先に乗っかった。
「……本当に、解除されてるじゃない……」
あまりにも衝撃的な出来事に、呆然としながらぽつりと呟く。
ヴァーレントとの契約が解除されたってことは、いつでも別のパートナーと契約できる状況に戻ったってことだ。契約当初のあたしなら、喜び勇んで次の契約者を探しに向かうところだったと思うけど。
折角腹を括ってこの食えない青年と契約を続けることを選んだのだから――正直なところ、これはこれで反応に困る。
何となくばつの悪いような気持ちを胸中に抱きながら、隣に並ぶ青年の様子をちらりとうかがう。ヴァーレントは焦るような素振りもなく、いつもと変わらない様子で冥王へ問いかけていた。
「この場合……仮に階級が戻ればどうなるのですか?」
「戻ったとしても、一旦契約切れちまってるからなー。同じ相手と再契約するにしても、最初の手順からやり直しだぞ」
二人の会話をぼんやりと耳に入れながら、周囲を見回したとき。そこでようやく、重大なことに気づいてしまった。
「……ってことは、これ全部食べられないじゃないのよ! ああ……あたしのアップルパイ、フィナンシェ、マカロン……」
勢いよくお茶会用テーブルの傍まで走り寄り、同じ高さまで目線を近づけて――甘い香りを放ちながら皿の上で待ちわびているスイーツたちを眺めながら嘆く。神様はあたしのひどく狼狽する姿を眺めながら、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
「本っ当に食い意地の張ったお嬢ちゃんだなー。ま、魔力の素養なんてのはそう簡単に変わるもんじゃないし、元から階級高い方なら運が良けりゃすぐ戻るだろ。そん時はまた伝えに来るぜー」
要件が終わったのか……森林の奥へ向かって悠然と歩を進め始めた神様は、何かを思い付いたかのようにぴたりと足を止めた。くるりと振り返り、こちらに再び顔を向ける。
「あと。早く戻したいなら、できるだけ魔術使わない方が良いと思うぞー。冥王様からのアドバイスな」
楽しそうな表情を浮かべてそう言い残したかと思うと――宵闇に溶けるように、忽然と消えてしまった。
たちまち静寂に包まれ、あたしたちだけが取り残された草原の上でパートナーの顔を静かに眺める。相手からの視線も受けながら互いに沈黙を保っていると、突如歪んだ空間から何者かが姿を現した。
「やっほーアリス、ご機嫌どう? ……って。どしたの、この空気?」
軽快な口調で登場した青年は、この場に広がるやけに重たい空気を感じ取ったのか。いつものように勢い良く飛びついてくるわけでもなく、黒い猫耳を小刻みに動かしながら珍しく普通にあたしの横まで近寄ってきた。
こいつはガット・チェシャ。あたしの元パートナーで、仕事の腕だけは認めるけど厄介かつ鬱陶しい奴の筆頭。
面倒事が増えそうな予感をひしひしと感じて、さらに身体から力が抜けたのは言うまでもない。
* * * * *
「階級変動か、大変そうだねー」
経緯を簡単に説明したあと、ガットは間延びした声でそう言葉を述べた。こいつは当事者じゃないからこそ、普段の三割増しで気楽な返答に聞こえて若干苛立つ。
「けどさー、降格したっていってもビショップじゃん。暫く、また俺と契約しとく?」
思いもよらなかった相手からの提案に、ぱちくりと目を瞬かせる。ガットの階級は黒のルーク。今のあたしは白のビショップだし、確かにこいつと契約することは可能なんだけど。あたしの方が下の階級になるため、契約の主導権は相手に委ねられることになる。以前の契約で頻発した大騒動とややこしい未来が容易に想像できて、あまりにもリスクの高い選択肢につい呻き声を漏らす。
「……ちょっと、考えさせて……」
あたしの苦悩する様子を心底楽しそうに眺めながら、ガットは机のマフィンを一つ手に取り、何度か軽く空中に投げていた。少し遊んで満足したようで、あたしの眼前へそっと差し出してくる。
「今すぐ契約しちゃえば、目の前のお菓子が全部食べられるのに?」
「ううっ……! でも、あんたに対して即決するのは絶対嫌なのよ……!」
「俺も急ぎの仕事があれば構ってあげられなかったけど、今回は暫く余裕あるし? アリスと一緒にいてあげられるけどなー」
鬱陶しい猫と目の前の大好物たち。天秤にかけるにはあまりにも悩ましい材料に、思わず正面から顔を背ける。奴の耳障りの良い言葉に乗りたくないものの、ヴァーレントお手製のお菓子から漂う香りが判断を鈍らせてきて。
視界の隅々まで広がるスイーツの山をぐるりと目で追ったあと、ヴァーレントに視線を送った。腕を組みながらあたしたちのやり取りを静かに眺めていた青年は、薄く開いた赤い瞳をゆっくりと瞬かせ、いつもの調子でにこりと微笑んだ。
「私は現在パートナーではありませんし……阻害する権利はありませんよ」
相手の返答を聞いて暫く考えを巡らせたあと。身を切る思いで苦渋の決断を下す。
「……ヴァーレント。ちょっとだけ、勝負を預けるわ……」
まっさらの契約紙を取り出し――覚悟を決めてガットの前に差し出すことにした。
* * * * *
「それにしてもアリスと行動するなんて久々だなー☆」
「あたしとしてはもう二度とないと思ってたけどね……」
無事に契約を結び終えたあと。こちらの鬱々としたテンションとは対照的に、左隣に座る相手は上機嫌な様子でぶんぶんと細長い尻尾を振っている。ただ……契約したとは言え、あたしも同じ轍は踏みたくない。前回の契約状況を鑑みて、今回はお互いに交換条件を提示することにした。
あたしからは、魔力もしくは階級が戻ったら速やかに契約を解除すること。長引くとあたしの精神力が確実に耐えられないだろうから、短期間で済ませることを最優先事項とした。
そしてガットからは、機会を見て女王様との謁見の場を交渉してもらいたいとのこと。以前耳にした話を思えば、正攻法で女王様に接触を試みるってだけで十分驚きの変化だ。
ただ……いつぞやの階級キング同士の一触即発のようなやり取りを思い返すと、ガットは女王様判定で確実にアウトなのは分かっている。そして、奴の場合はそれすらご褒美と認識しそうで――居合わせた場で胆が冷えること間違いなしだ。
リーブレにかかる心労も気にかかるけど、そもそも許可がもらえるかは分かんないし。仮に……もし許可がいただけた場合、何か生じそうならあたしが制御するしかないと心に深く刻むことにした。
そんなわけで互いに相手の要望を了承したうえで、今回の契約に臨んでいる。今はパートナーじゃないんだけど、こんな状況下だからヴァーレントにも一緒に過ごしてもらっていて。とりあえず日課のお茶会を過ごすために、目の前のテーブルに着いた状態だ。この三人でテーブルを囲む構図ってのも珍しいわよね。
ついでに――こいつとの有効距離も試しに確認してみたんだけど、前回契約したときとほぼ同じ長さでそこだけは安心した。こいつの立ち居振舞いを思うと不安が残るので、相手の動向をうかがいながら、奇行に走らないよう目を光らせている。
そんな現パートナーは机の上に片肘を付き、手元の皿からバターサブレを摘まみながらヴァーレントに声をかけていた。
「お兄さん、何か複雑そうなオーラ纏ってるねー……やっぱり俺とアリスが契約してんのは嫌?」
ガットの問いかけにつられて、右隣に座る青年へ視線を送る。相変わらず人当たりの良い笑みを浮かべたヴァーレントは、今日は上手く振舞っているようで、あたしが注意深く観察しても抱いている感情がよく分からない。淡い水色のティーカップを口元に運びながら、質問者に向かってにこやかに答えていた。
「いえ、そんなことはありませんよ」
「ふーん……それなら良いけどー。ま、俺としては、アリスのパートナーになってようがなかろうがどっちでもいいんだけどさー」
「おや、それは意外ですね」
発言者は頭の後ろで腕を組みながら、笑みを浮かべて何故かこちらにウインクを送ってくる。
「だって、俺が会いたくなったときにアリスのところへ行けば良いだけだし。俺の場合は契約なんて、一緒に行動する口実にすらならないからさー」
「あんたね……いつもそういう調子で邪魔したりタイミング悪かったりするから、頻繁に怒ることになるんでしょ……」
こいつの原動力は、基本的に自由気ままなのだ。相手の言い分と振り回される当事者の心労をどっしりと感じとり、長く深くため息をついたのだった。
* * * * *
思う存分お菓子を頬張り、ティータイムを終えてから。冥王からの助言もあり、魔力の回復を優先するために二人にもその後の依頼対応を手伝ってもらった。太陽の日差しがとっぷりと暮れる頃には――予定していた依頼と引き換えに、大量のお菓子がテーブルいっぱいに積み上げられていて。本日分の仕事も無事に済ませることができ、ほっと胸をなで下ろした。
急にガットが奇行を繰り広げる可能性も懸念しながら過ごしてきたけど、特に大きな問題はなく。今日一日借りてきた猫のように大人しい姿に、相手の顔をまじまじと眺めた。
「あんた、本当にガットよね? ……何か企んでたりするんじゃないの?」
「いや、俺もやるときはやるよー。どう、見直した? まー、今のアリスなら悪戯し放題ってことだし、ご希望ならいじめてあげるのもやぶさかではないけど☆」
……前言撤回。やっぱり性根は変わってないわね……。
相変わらずの変態対応に、寒気が背筋を走り抜け……つい、普段の感覚で反射的に魔術を使ってしまった。内心しまったと後悔しつつも――想定通りの位置に吹っ飛んでいったガットと発動した魔術の丁度良い手ごたえに、その場に立ち尽くして両手を握ったり離したりを繰り返す。
飛び起きたガットも、嬉々として駆け寄ってきた。
「お! この魔術、いつもの感じじゃん。もしかして戻ったんじゃない?」
「これはこれは……他にも試してみますか」
「そうね……。じゃあ、いくわよ」
気合のかけ声とともに、いくつかの簡単な魔術を使ってみる。物を浮かせても、水滴を操っても、小さな火を起こしても……魔力は問題なく調整できているようだった。確信したところで、細長い尻尾を揺らしながら後ろで眺めていたガットに向き直る。
「魔力が戻ったみたい。じゃあ……約束通り、契約解除よ」
「あーあ、意外と早かったねー。もう少し一緒にいられると思ったんだけどなー、残念」
惜しむ言葉とは裏腹に、浮かべた表情はそれほど気にしてなさそうで。お茶会の席で本人が話していた通り、そこまで契約に執着していないことがよく見て取れた。
手を差し出して促すと、ズボンの左ポケットから契約紙を取り出してくる。ガットはそのままびりびりと破り捨てたかと思うと、両手を頭上に大きく広げて紙片をまき散らした。紙の切れ端がひらひらと舞い落ちるのを見届けたあと、くるりと宙返りをしてこちらに手を振ってくる。
「ま、一日一緒に過ごせたし、今日のところは満足かなー。じゃー、また遊びに来るねー」
晴れやかな笑顔を浮かべながら言葉を残して、猫耳の青年は颯爽と消えた。まるで台風一過のような退場に、疲労感から大きく息を吐き出した。
「意外と早く解決して良かったですね」
「まー、あたしほどの魔女なら回復力だって伊達じゃないわ。それに……あたし、負けっぱなしは嫌いなの」
「負けっぱなし、ですか?」
傍に立つヴァーレントを見上げながら、相手に対して真っ直ぐに人差し指を向ける。
「ヴァーレントとの決着はまだついてないし、何より自分の力で勝たなきゃ意味ないわ。だから……三日後、あたしと再契約してちょうだい」
契約を破棄してから、丸三日は新たな契約ができない。だからこそ――ここでヴァーレントに宣言し、約束を取り付けておくことに意味があるのだと思った。
対峙した青年の目には、少しだけ驚きの色が滲んでいた。静かに息を吐き、鮮やかな深紅の瞳でこちらをじっと見据えてくる。
「……全く、あなたという人は。こんな好機、滅多にないかもしれませんよ?」
「こんなので契約解消できたなんて、あたしが認められないのよ。――そんなこと言って、あんたも初めから再契約するつもりだったんでしょ」
念のため冥王に確認をとっていた辺り、最初から契約を結び直す算段だったはずだ。相手の反応を試すように少し意地の悪い笑みで問いかけると。
「さあ、どうでしょう」
たちまち普段の笑みに戻って、さらりとはぐらかされた。
本当、ヴァーレントって頑固よね……。
今度は冥王か……はたまた天王か。どっちが来るのか分かんないけど――きっとそのうち、戻った階級を告げにやって来るに違いない。
トラブルに苛まれた一日だったけど、三日後からまた相手と対峙する日々が始まるのだ。
今度こそ……正攻法でヴァーレントに勝ってみせるんだから!
了
実は本編五話・チェシャ猫の没案だったり。当初は天王を出したりするつもりだったけど、ややこしくなりそうなのでお蔵入りにしたものを本編後の軸でリメイク。
ガットにもう少し引っ掻き回してもらっても良かったかな~。ドタバタギャグ書くのはやっぱり楽しい。