甘いひと時
本編途中・チェシャ猫の手前辺り。 ※ほんのりヴァー→アリ要素あり
ふつふつと煮詰めた杏も良い色に染まってきた。
シロップの海で揺蕩う果実をトングの先で転がしながら、正面の壁に手を伸ばして小振りなホーロー鍋の持ち手を軽く握り込む。そのまま五徳の上へ滑らせ、砂糖と少量の水を加えて弱火にかけながら小刻みに揺れる蓋の様子をじっと眺めた。
パートナーの家ではあるのだが――こうして厨房に立つ機会を頻繁に与えられていると、食器の配置や調理器具の癖をほぼ正確に把握していると言っても過言ではない。最初火のムラが生じるコンロたちは、あと数分経ったところで良い塩梅になる見通しだ。
計算通りにコンポートが仕上がったところで火を止め、ホーロー鍋を持って背後に控えた円形の茶会用テーブルまで足を運ぶ。自作の甘味たちは今日も漆黒の机一面を色鮮やかに埋め尽くすほどずらりと並び、開店前の洋菓子店で仕込みをしているかのような様相だ。本日のラインナップを端から目で追いながら、中心に据えたスイーツテーブルの構成を吟味する。ある程度決まったところで――ふう、と軽く息を吐き出した。
「これだけ用意しておけば、アリスも満足するでしょう」
手前に並べた三つの皿に向かい、脳裏に描いたイメージに合わせて下段用から順に盛り付けていく。上段を飾るエッグタルトを六つに切り分け、鍋から掬い取ったカラメルソースを皿の縁に添えたとき――玄関の扉が閉まる重厚な音が、かすかに耳に届いた。思わず作業の手を止め、奥のドアに視線をすっと走らせる。少し遅れて……靴音を騒々しく鳴らしながら、家の主が勢い良く部屋に立ち入ってきた。
「丁度良いお戻りで。お疲れ様です」
「ええ、帰ったわよー。はい、これ」
緑色の髪と赤のリボンをひらひらと靡かせながら目の前に立ち、水色の小さな麻袋を胸元に向けてぐっと突き出してくる。受け取りついでに袋の紐を緩めると、採れたての甘酸っぱい香りがふわりと漂った。
「頼んでいたお使いの分ですね。ご協力感謝します」
謝意を伝えるべく軽く会釈をしたあと、そのままいくつかの実を掌の上に転がす。宙に浮かべて水の魔術で洗い流し、全体とのバランスを見ながらタルトの上を彩るように配置した。完成した皿をスイーツテーブルの最上段に乗せ、本日のお菓子の巨塔は無事に完成したのだった。
頂点できらきらと輝く山吹色の果実とは対照的に、パートナーの機嫌は芳しくないようで。踵を返して壁際のソファーへ背中を埋めるように座り込み、じろりと恨みがましげな視線をこちらへ送ってくる。
「まったく、出先で急に連絡よこしたかと思えば星屑ベリー取って来いって。何であたしが取りに行かなきゃなんないの?」
「そう言われましても、主な消費者はアリスですし。それに――調理中にあなたがいると、お茶会を始める前にお菓子が減ってしまいますので」
「なっ!? あたしがいつもつまみ食いしてるみたいな言い方はやめてよね!」
瞬時に飛んでくる抗議の声をさらりと聞き流しながら、キッチン奥に備えたオーブンの様子をうかがう。ガラス越しに黄金色の焼き目とぷっくりと膨らんだ生地が視認できたところで、喧々と喚く彼女の方へ向き直った。
「さて、話の続きはまた後ほど。ちょうどマドレーヌが焼き上がりましたし、お茶にしましょうか」
* * * * *
発声とともに一目散にテーブルへ着座した彼女の待ち遠しい視線をじわじわと感じながら……調理中に身に着けていたエプロンと髪紐をぱさりと外し、普段の装いに戻ったところで向かいの席へ座る。
自身の呪いが関わっている分、テーブルを囲むときは心地良い雰囲気にしようと心がけている。その考えもあって――茶会を過ごす時間は嫌いではない。
紅茶を互いのティーカップに注ぎ、正面のスイーツテーブルから取り分けた皿をパートナーの前にそっと並べた。手元に届いた好物たちをまじまじと眺めたあと、彼女は悔しそうにふんと鼻を鳴らした。
「やっぱり、あんたの料理の腕は認めてあげるわ」
「お褒めいただき、光栄です」
少し素っ気ない態度に、普段通りの笑みを浮かべて応対する。
まあ、口では高圧的に振る舞っていますが……手元と顔は正直に語りますし。
お茶会が始まれば、アリスは終始目を輝かせながら幸せそうに――かつ淀みなく食べている姿を見せる。時折気に入ったものがあると一際目が光り、フォークの勢いを緩めながらじっくりと味わうように口へ運んでいて、その変化もなかなか興味深い。
次のレシピを組むときの参考にと、近頃は相手の様子をそれとなく観察しながら過ごしているのも……おそらく、当人はまだ気づいていないのだろう。
彼女の皿が半分ほど空になったのを見届けたところで、自分用に取り分けたプレーンスコーンを口に運んだ。さくりと軽快な音を奏でた品物はジャムの甘さを考慮した上で仕立てているため、そのまま食べるとシンプルな味わいに感じられる。
少し、バターが足りませんでしたかね……。
人間より長く生きている分、このように繊細な味覚も持ち合わせているのだが。体質上、血液以外は主要な栄養源とならないため……いくら美味な逸品を拵えたとしても、嗜好品の域から脱することはない。
ただ、そのおかげで申し分ないほどの調理スキルを会得し――こうしてパートナーとの円滑な交流手段として活用できるのだから、幸いだったのかもしれない。
私の暗示が全く効かず、互いの呪いの条件が噛み合う稀有な少女。
最初は興味本位で協力することを決めたものの……まさか、特別な感情を抱く存在になるとは思ってもいなかった。
相手に対する多大な好奇心と深層に執着が入り交じった複雑な心情は、恋や愛などと称するには澱のように濁っていて。
好意にしては、些か不相応な自覚はある。
時折ティーカップを口元に運びつつ、なおも飽きずに甘味を食べ続けている彼女に向かって、つい口を滑らせた。
「本当に、アリスは嬉しそうに食べますね」
対峙するパートナーは絶えずフォークを動かしながら、上機嫌で言葉を紡いでくる。
「そりゃ、お菓子はあたしの生きがいだもの! ま、ヴァーレントはこれだけ美味しいものが作れるんだから、一生困ることはないんでしょうけどね。どーせあたしのいない所でも、沢山甘いもの食べてるんでしょ」
好物と不平の言葉、二つの影響で頬を膨らませながら愚痴をこぼす彼女に向かって、そっと声をかけた。
「それも可能ではありますが、私の場合は直接的な栄養源にはなり得ませんので。それでも――あなたとともに食べるお菓子が一番美味しく感じますよ」
「……何それ、どういうことよ?」
怪訝な表情を浮かべるアリスをじっと眺めながら、普段の感覚でにこりと笑みを貼り付けた。
「作った者の意見としては、やはり美味しそうに食べていただける姿を見られる方が光栄ですから。今後も宜しくお願いしますね」
そのまま相手を見据えると、パートナーはさらに眉根を寄せていた。まるで私がおかしな物を食べて、変になったとでも言わんばかりの顔だ。明らかに怪しんでいる様がありありと見えて、更に笑みを深く浮かべてしまった。
幸い、私には十分時間がありますし――あなたを易々と手放す気もありませんので。
生を受けてから二世紀以上、ようやく出会えた興味深い相手なのだ……想いを伝えるにはまだ早い。
本音は言葉の裏に隠して。再び皿の上の品物を嬉々として食べ始めた彼女に、次のスイーツを差し出す準備を進めることにした。
了
友人のせとり様からいただいたお題を元に。(ありがとうございます!)
ヴァーレンハイトがアリスに何らかの感情を抱くとしたら……おそらく恋心ではなく、今まで無頓着だった反動で好奇心や執着が先に来るんじゃないかなと。