クッキーとアールグレイ
本編後。ヴァーレンハイトとアリスが一緒にお菓子作り
「あたしにも、お菓子作りってできるかしら」
使い慣れた仕事場のテーブルで軽く頬杖を付きながら――向かい側でお茶会の準備を粛々と進めるパートナーへ、何気なしに質問を投げかけた。天窓から射し込んだ昼過ぎの陽光は、視界の先で静かに揺れる銀糸をきらきらと輝かせている。髪の持ち主は白のレースが縁にあしらわれたナプキンを手に取りながら、同じような語気で返してきた。
「おや……珍しいことを言いますね。ちなみに経験はあるんですか?」
「……いーえ。それが、全くないのよね……」
ヴァーレントの言葉に、ついため息を吐いてしまった。
そう。あたしは今までこのかた、一度もお菓子を作ったことがない。もちろん作りたいと思ったことは何度だってあるし、好きなだけ作って食べられるなんて夢のようなシチュエーション……あたしも実行できるものならやってみたい。
ただ、呪いの影響を考えると。
「腕によりをかけて仕上げたものが、完成直前で台無しになる可能性だってあるのよ⁉ そんなの、絶対耐えられないじゃない!」
口から勢いよく飛び出した自分の発言につられて、恐ろしい光景が脳裏にじわじわと浮かび上がる。天塩にかけて作り上げた大好物たちが、ちょっとしたミスで文字通りの塩塊へ変わり果てていく姿……思わず頬に添えていた掌をこめかみに滑らせ、最悪なシーンを追い出すように頭を左右に思い切り振った。
少し気分が落ち着いたところで相手へ視線を戻すと――先ほどまで手中に収められていたナプキンは、体を寄り添わせた大小二羽のウサギに様変わりしていて。そのまま金のラインが描かれた水色の皿の真ん中に、行儀よく乗せられていた。いつも通りの細やかな造形に感心していると、パートナーは手前にずらりと並んだ銀のカトラリーを磨きながら軽く息を吐いた。
「何ともアリスらしい理由ですね。とは言え、ご自分で作らずとも容易に手に入る環境はお持ちでしょう」
その言葉と共に、持っていたフォークの柄で試薬棚の一角を静かに指し示される。先に鎮座した薄桃色のガラス瓶には、昨日の報酬で受け取ったグミがぎっしりと詰められていて。小振りなメロン大の容器の中で、色鮮やかに煌めいていた。
一人じゃすぐ口にすることはできなくても、仕事を請け負えば何らかのお菓子を手に入れられる。そして、契約時に交わした条件の通り、パートナーには名店顔負けのお手製スイーツを日々提供してもらっている訳で。
ごもっともな相手の指摘に、こちらも素直に相槌を入れた。
「確かに仕事柄その通りだし、ヴァーレントにも毎日作ってもらってるけどね。今日は急ぎの案件もないでしょ? 折角なら、気晴らしに挑戦してみるのも良いかと思ったのよ」
依頼ありきの商売だからこそ、忙しさは日ごとに波がある。溜めていた雑務を片付け終えても座っている時間の方が長いスケジュールに、口を吐いて出たのが最初の言葉だった。
あたしも、我ながら珍しい考えに至ったものだと思ったんだけど。ま、ヴァーレントのことだから――きっと、軽く受け流されて終わりかもしれないわね。
今までの付き合いから、お菓子作りはパートナーの領分だと認識しているし、そう簡単に指導を仰げる保証はない。他人に教えるってのも面倒な作業になるから、せいぜい近くで眺めるくらいが妥当な線かしら。
あまり期待せずに何パターンかの返答を推測しながら、相手の挙動をぼんやりと眺める。言葉を交わしながらも流れるような所作で手を動かしていた青年は、布巾に包んでいた最後のティースプーンをことりと右端に並べた。普段と変わらない笑みを漂わせたまま、こちらにすっと視線を向ける。
「今日の準備はこれからですし、ご希望であれば一緒に作りましょうか」
予期していなかった提案に、目を丸くする。まさか、あっさり快諾されるなんて微塵も考えてなくて。思わず前のめりになり、ヴァーレントの顔をまじまじと眺めた。
「え。あたしも作って良いの?」
「ええ。ご自分で仰っていたように、気分転換にも良いと思いますよ。何か作りたいものはありますか?」
浮かべた微笑には特に害した素振りなどもなく――寧ろ、少し楽しげな雰囲気を纏っていた。
ここまで譲歩してくれるなんて。もしかして、今日のヴァーレントは随分と機嫌が良いみたい。
予想が外れて一瞬呆けた脳内を整理し、気を取り直して目当ての対象物について考えを巡らせる。失敗するのも嫌だし……一応、初心者でも作れそうなレシピってのは念頭においたうえで、ね。
「そうね……じゃあ、クッキーはどう?」
昔っからお気に入りのお菓子のひとつ。日持ちもするし、生地さえ出来てしまえば大量に作れるのも魅力的な要素よね。幼い頃はよく母親が焼いてくれたこともあり、山盛りに積み上げられた皿から嬉々として頬張った思い出も懐かしい。あたしにとっては馴染み深い一品だ。
相手は首を縦に振り、テーブルの脇へ身体を寄せた。
「承知しました。では、こちらへどうぞ」
こうして、初めてのお菓子作りに心を踊らせながら……あたしも大きく頷いて、キッチンの扉まで足を進めることにした。
小麦粉、バター、砂糖と卵。それに牛乳。家主顔負けの手さばきで棚や引き出しから目的物を淀みなく回収し、テーブルの上へ並べていく。そんなパートナーの後ろを付いて回りながら、大抵のお菓子は基本的に使う材料は変わらないのだと教えてもらった。あれだけいろんなレシピを熟知している相手が話すんだから、説得力は絶大よね。
藍色のエプロンと髪紐を身につけたヴァーレントは、やっぱり普段の格好が印象付いている分、何度見ても新鮮だ。ただし、いつもとひと味違うのは――あたしも同じように自前のリボンを首の後ろで結び、髪をひとまとめにしていること。エプロンは普段と同じものだけど、流石に髪を下ろしたままなのは衛生的に宜しくないかしらと、相手の格好に習うことにした。
結んだ布の緊張を通して気が引き締まるし、何だか本格的に弟子入りしたような心境だ。相方のおかげでみるみるうちに用意が整った机の前に立ち、改めて食材たちとじっくり向き合う。
「それでは、早速始めましょうか」
「了解。宜しく頼むわね」
指示に従いながら、手前に並べられた順番で材料を正確に量り取る。白磁のボウルの中へ次々と投入しながら混ぜていく作業は、初めて取り組むにしては存外しっくりくる感覚を抱いた。右手に握りしめた木ベラを動かすごとに少しずつ重量感が増すのを感じつつ、相手に話しかける。
「何か、試薬作りに似てるわね」
左隣に立つパートナーも同じように、あたしの分よりも一回り大きい黄緑色のボウルを慣れた手付きで混ぜている。
「分量が違えば味ががらりと変わりますし、最も肝心なところですから……確かに近いかもしれませんね。さて、中である程度まとまったら、こちらへ取り出してください」
ボウルの中で生地のもとを丸めるように手でこねたあと、打ち粉を散らしたまな板の上に伸ばしていく。手渡された麺棒を転がす度に、香り付けのバニラの匂いがふわりと漂った。手慣れた様子で進めている相手の所作と見比べながら、まな板より一回り小さい長方形に整えたところで問いかけた。
「このくらいで良い?」
「ええ。では、こちらで生地を抜いていきます」
ヴァーレントが指を鳴らすと、まな板の周りに大小様々な銀色の抜型が姿を現した。そのまま流麗な動作で左から二番目のものを手に取り、生地の上に乗せてひと押しする。そっと取り外すと――淡い黄色の絨毯の上に、桜の花が一輪咲いた。
近くにあった他の抜型を摘まんでは、形を次々と覗き込む。薔薇やチューリップ、コスモスなど、筒の中には可愛らしい花のモチーフがあしらわれていた。
「あら、今日は花柄なのね」
「もうじき賑わう季節になりますから。抜型はお好きなものを使ってください。成型したものは崩れないように天板へ。残りの生地は同じように伸ばして再度抜きましょう。私は別の生地を用意しますので、こちらはアリスにお任せしますね」
「分かったわ」
ヴァーレントはそう言い残すと隣のテーブルに伸ばしていた生地をいくつかの塊に分け、別の粉や材料を手際よく並べ始めた。パートナーの様子を少しだけ目で追ったあと、あたしも見よう見まねで型を抜き……テーブルの奥に佇む天板の上を、花弁の群れで埋めていったのだった。
甘く香ばしい匂いが漂う中、やっとのことで待ちかねたオーブンのベルが鳴り響いた。パートナーに視線を送り、小さく頷いた合図を目にしたところでミトンを両手に装着する。ふかふかの布越しに熱気を感じながら、できるだけ水平を保ちながら慎重に取り出す。テーブルの中央へそっと置いた天板には、キツネ色にこんがりと焼けた花畑が広がっていた。
「うん、なかなか良いんじゃない!」
無事完成した達成感から、感嘆の言葉を漏らす。けれど、じっくり見回すと、焼き色がまちまちで。控えめな色のものもあれば、焦げに近い……焼き色の主張が激しいものもちらほら混じっている。バラつきが感じられる仕上がりに、思わず首をひねってしまった。
「あら? 何か、不格好な気がするわね……」
「少し焦げているものは、厚みにムラがあるからですね。まあ、この程度でしたらさほど問題ありませんし、初めて作ったのであれば及第点でしょう」
続いてヴァーレントが取り出した天板には、彼が用意した作品が並んでいる。あたしが型を抜いている間に仕立てていたクッキーたちは、チョコチップ・抹茶・ナッツ入りなどの――更に鮮やかな花々が、まるで機械で並べたかのようにきちんと整列していた。生地の種類も大きさもバラバラなのに、一面綺麗な焼き色になっていて。隣に並べると出来の違いが余計に分かるからこそ、無性に悔しい。取り分ける相手の顔をじろりと一瞥したあと、ふんと鼻をならして顔を背けてしまった。
「それでは、お茶にしましょうか」
お互い普段の格好に着替えたあと。パートナーの発声とともに、着座したテーブルの上を見渡す。いつもお馴染みのスイーツテーブルの代わりに、今日は大きなホールケーキ大のバスケットが中央に配置されていて。あたしの要望で籠ごと置いてもらったそいつからは、綺麗に組まれた網目の上から、まるでブーケのように山盛りの花形クッキーが顔を覗かせていた。頂点に近いところから何枚かまとめてトングで摘まみ取り、苺の果実が描かれた皿の上へ一枚ずつ並べていく。
「じゃあ、いただきます」
早速、あたしが抜いた薔薇の形のものを口に放り込んだ。さっくりとした生地が舌の上でほどけるように崩れたあと、バニラの芳香と甘味がじんわりと口内に広がっていく。
「……美味しい!」
教えてもらいながら作ったんだから、普段食べているヴァーレントのクッキーと同じ味のはずなんだけど……作った愛着の重みが気持ちに乗っているためか、とても美味しく感じられた。目の前に座っているパートナーは優雅な所作でティーカップを口に運んだあと、いつも通りの笑みを浮かべている。
「それは何よりです。お菓子作り、いかがでしたか?」
「自分で作るのって、思ってたよりも楽しかったわね。ヴァーレントが楽しんで作ってる気持ちも分かる気がする」
でもあたしとしては、やっぱり食べる方が好きだけど。
感想として次に浮かんだその言葉は――協力してもらった手前失礼だろうしと、口には出さないことにした。
「たまには、こうして手伝ってみるのも良いかもしれないわね。良い経験になったわ。ありがとう、ヴァーレント」
「いえいえ。またお手伝いいただければ幸いです」
正面のパートナーが口元に漂わせた微笑には――含みを持たせたような白々しさが混じっていて。相手の嘘臭い振る舞いに、つい横槍を入れる。
「……あんた、そう思ってないわよね?」
あたしの指摘に、ヴァーレントはティーカップを机に戻しながら軽く肩をすくめた。顎に手を添え、薄めた目から赤い光がちらりと見える。
「アリスは随分と顔に出ますから。作っている最中より、今の方がよっぽど生き生きしていますよ。また気が向いたら、ということでどうでしょう」
図星をつかれて二の句が次げず、小さく息を詰めてしまう。
……言わなかったことまで、すっかりお見通しなんて。言いくるめられて若干癇に触るところもあるけど。まあ、今日のところは満足よ。
目の前のバスケットの中身に免じて、向かいの席で胡散臭い笑みを浮かべた青年の発言は、広い心で聞き流すことにした。
そうして、自分の頑張りを労うように――こんもりと積み上げられたバスケットから、気を取り直して今日の成果を胃袋へと収めることに集中し始めたのだった。
了
友人のさこ様からいただいたお題を元に。(ありがとうございます!)
ヴァーレンハイトの機嫌が良さそうだったのは、他人に料理を教えるという行為が初めてで、新鮮かつ面白そうだったから。
アリスも手先は器用な方だし、本人が乗り気、かつ近くにヴァーレントがいれば上達は早そう。