オランジェットとゼリービーンズ
ガットと双子 アリスとの思い出語り
「良―い天気だなー、っと!」
市場が賑わいを見せる様子を上からぐるりと眺めながら、赤いレンガのとんがり屋根からすとんと降り立つ。
今日は快晴。昼に差しかかる前の日差しが、夜通し酷使した身体を浄化するように染み渡っていく。久々にあちこち動き回った甲斐もあって特ダネな情報が掴めたし……足は棒のように重いけど疲労の中に充足感もあって、どちらかと言えば気分は良い。
けど、いくら俺がMにだってなれるって言っても、流石に疲れを感じる運動量だったなー。
目についた屋台で買ったホットドッグを朝飯代わりに頬張りながら、慣れた足取りで休憩場所に使っている公園へ足を進めた。天気も良いのに、今日は珍しく誰も遊んでいないらしい。物寂し気に佇む遊具の傍を通り過ぎながら、食べ終わって手元に残った包み紙を小さく丸める。コーヒーを喉の奥へと流し込みつつ、丁度よく木陰が広がった黄色のベンチに座りこんだ。背もたれに上体を預けて大きく背伸びをしたあと、昼寝ついでにそのまま横になろうとしたとき。
背後から大きな破裂音が響き渡ったと同時に、くすぐるような刺激臭が鼻腔を襲った。
途端にむずむずが止まらなくなり、反射的に身体を前へ折り曲げる。異物を排除しようと大きくくしゃみをする度に、視界に入る髪が色鮮やかに変わっていく。それらは赤、黄、緑と目まぐるしく染まった後、今の空模様みたいな水色になったところでやっと収まった。余韻でじくじくと燻る鼻を押さえながら右手で指をぱちりと鳴らし、いつものオレンジ色に戻す。ベンチに座ったまま腰を捻ってくるりと振り返り、背後に控えた見知った二人組に苦言を呈した。
「もー、お嬢ちゃんたち。不意打ちはずるいよ~」
「「だって、ガットの呪いって面白いんだもーん」」
鏡合わせのようにお揃いの服を着た少女たちは、息もぴったりなユニゾンボイスで紫と黄緑の髪をぴょこぴょこと揺らしながら元気よく跳び跳ねている。目元はいつものように包帯でぐるぐる巻きだから分かんないけど、口元を緩ませて楽しんでいる様子が十分に見て取れた。
長い袖で包み込むように一つずつ持っているのは――お手製のクラッカーだな。おそらくその中に、胡椒とかシナモンとかがたっぷり入っていたんだろう。
昔っから祖先の影響で匂いには敏感で。特にスパイス類を嗅ぐと暫くの間、くしゃみが止まらなくなっちゃうんだよね。
ちなみに勿論、二人が街路樹の茂みに潜んでいたことは最初から気配で分かっていたんだけど。そこはまあ、内緒にしておく。
頭の天辺を指先で軽く突っつくと、笑い声をあげながら得意気に胸を張っていた。気が向いたとき、たまに遊び相手になってるんだけど、随分と懐かれたもんだ。
立ち上がったついでに、ベンチの上に広げていたご飯の名残をゴミ箱へ投げ入れる。すると、後ろからくるくると回り込むように囲まれた。
「「ガットはさー、何で髪の毛オレンジ色なのー? いっつもこの色に戻してるよねー」」
「あー。それはね、恋の色だからさ☆」
急に質問を振られた割には渾身のキメ顔を作れたってのに、彼女たちの反応はいまいちだ。揃って同じ方向に首を傾げながら、不思議そうにゆらゆらと揺れている。
「「えー? よく分かんないよー」」
まあ、流石に理由を教えないと分かんないか。
仕事も終わったところだし、気分も良いからと、もう一度同じベンチに腰かける。空いている左側の木目を指先で軽く叩き、思わせぶりな笑みを浮かべて着席を促した。
「仕方ないなー、折角だから俺とアリスの昔話でもしてあげよっかな。聞きたい?」
「「わー、面白そう! 聞きたいなー」」
ぴょんぴょんとスキップ混じりに駆け寄る二人が、揃ってお行儀よく座ったのを見届けたあと。俺にとって忘れられない――アリスとの出会いの思い出話を聞かせてあげることにした。
* * * * *
我ながら、情報提供の腕は良い方だと思う。仕事を始めて何年か経ったけど、買い手はちらほらやって来るし、一応セキュリティ面も考慮して事務所の位置だって適当に変えてるけど、辿り着いてる奴もいるから運用上も問題ないみたいだし。
たまーに、お前のせいで大変な目に遭っただとか、ガセネタつかまされただとかで、歓迎しないお客さんが飛び込んでくることもあるけど。魔力もそこそこ持ってるからやり過ごす分には対処に困ることもない。
だから、面白そうな情報を掴んでは足を運んでくる客に情報を売る。そんな気ままな日々を過ごしていた。
ある日の昼下がり、珍しいお客さんがやって来た。扉を開いて足早に近づいてきたかと思えば、デスクの上に掌を勢いよく叩きつけて。手前に置いたマグカップの中で、ついさっき淹れたコーヒーの水面が零れそうなほど波打つ中……怒涛の剣幕に呆気にとられた俺を見下ろして、開口一番言い放った。
「あんたが情報屋ね? 階級高いなら、あたしと契約してくれない?」
これはまた――随分と威勢のいい女の子だ。
夏の木々を思い出させるような深い緑の髪に、頭のてっぺんには目立つ大振りな真っ赤なリボン。十字のデザインが描かれた特徴的なオレンジ色のエプロンドレスの下には、黒いワンピースがひらひらとはためいている。
見るからに、ステレオタイプの魔女と言った格好だ。
強引な誘いに、茶化し交じりに率直な感想をもらす。
「お嬢さん、物好きだねー。役に立つ情報じゃなくて、俺自身をもらいに来たの?」
相手は眉間に皺を寄せて心底嫌そうな顔を浮かべ、吐き捨てるように言った。
「変な言い方はよしてよね。あたしは単に、契約できる相手を探してるだけ。で、できるの、できないの?」
デスクに置いた手を支点に顔を近づけて詰め寄られる中、相手の様子を観察しながら冷静に考える。
契約、ねえ……。
正直俺はどっちでも良いんだけど。この子の事情が不足してるから、まだ判断できないかな。
ひとまず情報を探るべく、軽く挑発してみることにした。
「そうだねー……一応俺、黒のルークだし、中途半端な階級じゃあ契約できないよ?」
「あたしは白のクイーン。あんたにとっても悪くない話だと思うけど?」
間髪入れずに返ってきた言葉に、内心目を見張る。俺も年の割に階級は高い方なんだけど、彼女はそれ以上ってことだ。
魔力の高い相手は大歓迎だ。契約の主導権は握れなくなるけど、魔族相手にも顔が効くから恩恵が多い。こちらにもメリットがある以上、断る理由は薄くなった。
何より。先程から俺を真っ直ぐに睨み付ける、琥珀色の勝ち気な瞳が気に入った。
基本的に、俺が他人に対して感じる気持ちと対応は二つ。いじめた方が面白そうだからSで対応するか、いじめられた方が楽しそうだからMで対応するかだ。
こういう子にはS対応がしっくりくる。いじめたら良い反応が返ってきそうだし、階級も俺より高いなんてレアじゃん。
それなら組んでみるのもありかなと、彼女に分かるように大きく頷いた。
「面白そうなお嬢さんだねー。ま、今はフリーだし契約してあげても良いよ」
「それなら早速、契約紙に」
食い気味に返答する相手に向けて、人差し指をさっと指し示す。
「ただし! 俺、自分で言うのもなんだけど自由人だからさ。個人の自由時間は欲しいわけ。仕事の関係もあるし、その辺は融通利かせてもらうよ?」
俺の提案に彼女は顎に手を当てて、少し考える素振りを見せた。
「程度にもよるけど……仕方ないわね。あたしも呪いについての要望は聞いてもらうし、持ちつ持たれつってことで」
「オッケー。じゃあ交渉成立ってことで。俺はガット・チェシャ。知ってると思うけど、腕の良い情報屋さ☆」
「あたしはアリス・リーヴァレッタ。アリスで良いわよ」
俺の渾身の自己紹介を軽く流されたことは置いておくとして。耳にしたことがある名前に、仕事で仕入れた情報網を順番に辿っていく。
この名前、最近やり手の魔女じゃなかったっけ。道理で勢いづいている訳だ。
「あー、君が噂のお菓子狂いの魔女、ハロウィンアリスだったのか。名前は聞いたことがあるから知ってるよー。どのくらいの付き合いになるか分かんないけど、これからよろしく~☆」
「ええ。こちらこそ宜しく頼むわね。じゃ、早速取りかかるわよ」
そうして急かされるように突き出された契約紙を受け取りながら、長い話になりそうだしと、彼女に依頼人用の椅子に座るよう案内して。ようやく交渉事が落ち着いた部屋の中で、アリスと契約を結ぶことにした。
そんな、嵐のような出会いだった。
契約の準備を進めながら聞いたんだけど、どうやらいきなり階級が上がっちゃって、前の契約者と強制解除になったらしい。鬼気迫る表情と勢いだったのは、そういうことだったんだなーと腑に落ちた。
彼女の呪いはお菓子に触ると塩に変わるって呪いで。今までの境遇やら冥王への怒りやらをぶつぶつと呟きながら契約紙に名前を書き進める彼女に、好物が自由に食べられないって環境を与えられるなんて、俺からすると窮屈で耐えられないなーなんてちょっぴりの同情と……悪戯のネタに使えそうだなーと密かに心躍らせたのは、ここだけの話。
ちなみに俺の呪いはというと。仕事の場でも活用できる分、有効距離を超えたとしてもそこまでデメリットはないんだけど。折角だから初回サービスしておこっかな。
契約紙に血を落とす前に、俺の呪いを実際に見せてあげることにした。
「アリス、シナモンとかジンジャーとか持ってる?」
「急に言われてもね……今はクッキーくらいしかないわよ」
彼女に問いかけると、肩にかけた革鞄から細長いガラス瓶を取り出した。片手に収まるサイズの瓶の中に、指先くらいの小振りのクッキーが半分ほど詰まっている。
硬めに焼いているものなのか、傾けるとカラカラと硬質な音が周囲に響いた。
デスクの端に置いていた卓上鏡に視線を飛ばし、今の髪色をさっと確認する。そこには頭頂部の耳とほぼ変わらない色合いの、深淵のような黒髪が映りこんでいた。
お。地毛に近い色に戻ってるのは珍しいなー。
そのまま椅子から立ち上がり、相手から数歩ほど離れた位置で足を止めた。
「この辺でいいかな、っと。じゃあ、そこで蓋開けてみてー」
「こう、かしら?」
擦れるような小さな音を立てながら、アリスが手元の蓋を回し開ける。瓶の口から完全に離れる前だけど、既に鼻は臨戦態勢。これだけ離れていても否応なしに鼻孔は刺激されていた。
そうして。蓋が完全に開いた途端にくしゃみが止まらなくなり、両手で思い切り鼻を押さえた。三度ほどくしゃみが続いた後、アリスにジェスチャーで閉めるように促し、収まるまで身体を屈めてはくしゃみを繰り返す。その度に、視界の端で髪の色がカラーライトのように次々切り替わっていくのが確認できた。
余韻でくしゃみが二、三度続いたあと、やっと落ち着いたところで体勢を立て直し、サイドの髪を少し摘まんで天井の照明に透かせる。今の色は――満月みたいに見事な金髪だ。色味を確認しつつアリスが先ほどの瓶を革鞄に仕舞い終えたところで、ゆっくりと近づいた。
「これが俺の呪い。くしゃみをすると髪の色が変わっちゃうんだよねー。色も完全にランダムでさ」
不思議そうに眺める様子に、良い反応するなーと、つい口角が上がってしまう。
「ついでに髪型と服装を変えたら、この通り。どう? 別人に見えるでしょ?」
言葉に続けて指先を鳴らし、オールバックに仕立て上げる。壁に掛けていた白いキャスケットを被り、手を横に広げて彼女に披露すると、腕を組みながら理解したように大きく頷いた。
「確かに、変装向きな呪いね。こんだけ印象が変わるなら、近くにいてもあんただって気付かないわよ」
「でしょ? だから仕事でも使えるし、意外と上手く付き合ってるんだよねー。じゃ、改めて契約しよっか」
無事に契約を結び終えたところで、アリスから待ちきれない様子で――有効距離の確認がしたいと頼まれた。さっきとは別のクッキーを掌に乗せたまま、固唾を呑んで手元の好物に熱心な視線を送り続ける相手から少しずつ距離を取る。部屋の端から端まで離れてみたけど、お菓子の様子に変化は見られなかった。
どうやら思ってたよりも有効距離が長いらしい。扉を開けて廊下の少し先まで離れてみたけど、呪いの効果が発動しないことに感動している様子が見て取れた。俺と彼女、思ったより有効距離の相性が良かったみたいだ。
契約紙を丁寧に折りたたみ、そのまま嬉しそうにクッキーを頬張る彼女に向けて軽く声をかける。
「じゃ、契約も結べたことだし。俺、そろそろ仕事に行ってくるよー」
そのまま廊下の奥へ淀みなく歩いていくと、慌てた様子でクッキーを飲み込みながら、焦るような声が背後から飛んできた。
「ちょっと! あんた、その格好のまま行くの? 誰だか分かんなくなるじゃない!」
「今日の情報収集だとこっちの方が都合良いからねー。帰ってくるときに気が向いたら戻しとくから気にしなーい」
制止する声を背中に受けながら、空間移動の術を使って仕事場の屋上に出る。屋根の上を悠然と歩きながら、知らず知らずのうちについ口元が緩んでしまっていた。
さっきの顔……慌てる表情もなかなかいじめ甲斐がありそうで、暫く楽しく過ごせそうだ。なかなか歯ごたえのありそうな勝ち気な性格にも、気持ちが高揚させられる。
商店通りに飛び降りたあと、さっきのシナモンクッキーの余韻か、くしゃみが一つだけ飛び出した。いつもの癖で店の窓ガラスに視線を向けたけど、映る髪色は変化なし。さっきと同じ――満月のように輝いたままだった。
呪いの効果が発動していない。そりゃそうだったと思いつつ、どこか新鮮な気持ちを感じていた。
アリスと契約して一週間が経った。一度屋外に出る用事があって、改めてちゃんとした有効距離を測ってみたけど。十メートルくらいは影響なくとれるみたいだった。目を輝かせて喜ぶパートナーとは裏腹に、俺の中では悪戯心がじわじわと大きくなる。
最初のうちだったから、俺からしたら大分譲歩してた方だけど……そろそろ自由に活動させてもらおうかな。
契約するときに決めていた、アリスをいじめて遊ぶターンだ。
今日は――そうだな、小手調べに夜までふらふらさせてもらおうかなっと。
そう心に決めて、仕事を口実に丸一日出歩いて、アリスを撒いてみた。俺の得意魔術は空間転移系。伊達に仕事で危ない橋を渡ったりしてないよ。
とっぷりと暮れた月光を浴びながら意気揚々と帰ってきたとき、部屋に帰るやいなや、上着の裾をがっしり鷲掴みにされる。
「ちょっと、今日は何なのよ! いくら自由にって言っても程度があるでしょ!! 今日はまともにお菓子食べれてないんだから、そろそろ流石に協力しなさいよね!」
怒り心頭で言い散らす姿に、この後の反応を内心ワクワクしつつ、表面上は申し訳なさそうにがっくりと肩を落とした。
「ごめんよー、アリス。……でもさ、契約するときに伝えてたじゃん。仕事もやらなきゃいけないし、ある程度の自由がもらえないと、俺だって息が詰まっちゃうよ」
異名が広まってる感じ、仕事が好きなタイプだろうし……引き合いに出されたらそんなに強くは怒れないでしょ。
相手の反応を予想しながら、ちらりと様子をうかがう。
「そう、ね……。あたしも事情は分かってるつもりだけど、ある程度は気をつけてよね」
先ほどまでの勢いを抑え、いつもの活発な姿から少ししおらしい姿を見せる様に、痺れるような陶酔感を味わった。アリスは勝ち気で結構我を通すタイプに見えて、理解を示すような聡明さも持っている。いろんな面を見せてくれて、本当に面白いパートナーだ。
まあ、魔力じゃ勝てないからあんまりいじめすぎると逆襲が怖いし……時々は、気を遣ってあげてもいいかな、なんて思って。日中いなかった間の糖分を補給するかのように……俺の服を掴んだままお菓子を食べる準備を進める姿に、今日残りの時間だけは好きにさせてあげようと、譲歩することにした。
あれからアリスは言葉で強く窘める割に、割と自由に行動しても大抵のことは許されるようになった。一度だけ、お菓子をちょうど口に入れたときに有効距離を越えちゃったときは、帰宅後塩まみれになっていたアリスにこっぴどく叱られて大変だったっけ。
表面上は気を使うように振る舞いつつ、仕事半分・悪戯半分でぱーっと移動したりして。時々わざとくしゃみをして、離れ過ぎてないかを確認してた。うっかり髪の色が変わった時はちょっと遠出しちゃったかなー、なんて有効距離のバロメーターに使ってたくらい。
そういうときは大抵、帰った後にそれはそれは長ーい小言を聞かされることになったんだけど、お土産にスイーツを渡したら大体許された。
毎日食べてる量に届く報酬。彼女の仕事場に足を運ぶ度、テーブルに築かれていくお菓子のタワーに毎度舌を巻く。
流石お菓子狂いの魔女。異名は伊達じゃないなーなんて感心してたくらいだ。
この生活も案外悪くない、なんて思い始めたけど。ただ一つだけ、不満があった。
そりゃ、もちろんアリスは自分から言ってた訳だし。最初っから知ってたけどさ。
いつだって、隣にいる俺よりも目の前にあるお菓子の方に夢中で。その姿を見てたら何だか良い気がしなかったから、思い切って一週間くらい行方を眩ませることにした。数日単位なら試したことはあるけど、その時は珍しいお菓子の手土産盛り合わせで何とか機嫌を直してくれたし。
遠方の情報収集も必要だったし、丁度良いタイミングかなーって思ってさ。
ほら、正当防衛って言うわけじゃないけど、れっきとした理由はあったわけだし。
最悪、散々怒られる未来も覚悟してたし、何ならそれも悪くないかなって。そんな思考になった時点で、あれ? なんて思って。思わず首を傾げた。
もしかして――俺がいじめたいと思ってる相手に、いじめられたいって感じてる?
S対応とM対応、その二択は天秤みたいに一方に傾いていて――付き合ううちに変わることなんてありえない。気分によって左右される相手なんて、今まで一人もいなかったのに。
こんな面倒くさい性格だったから、今までパートナーを組んだ奴は――期間が長くなればなるほど、嫌そうな表情を浮かべながら適当に返すか、こちらの声すら無視するかってのが定石で。仕事柄観察するのは慣れてるから分かる。嫌悪感とか無関心とか、最終的にはその辺りの感情に行き着くんだ。
けれどアリスの場合、いつだって、真っ正面から直球の感情を返してくれて。そりゃ面白い相手って認識になるでしょ。
自由にさせてもらえるなら理解してほしいなんて思わないけど。
それでも。自分の行動に対して彼女の反応が都度反ってくることに、心地良いと感じている自分もいる。
おかしいよなー、アリスは特別なのかも? なんて思考が頭によぎった時点で、彼女のくるくると変わる表情が脳裏に次々と浮かんできて。つい大きな声を上げて笑ってしまった。
そのまま暫く思い切り笑ってたら、そろそろ戻ってあげても良いかもって気分になって。結局五日間の放浪に切り上げて、少し早めに戻ることにした。
一足先に俺の事務所は覗きに行ってみたけど、アリスの姿はどこにもなかった。そのまま瞬時に移動して、隣の町にある彼女の仕事場の前に降り立つ。夕暮れ時の建物はいつもより静かに見えて、何となく不気味な心地がした。
入口の扉を手で押すとすんなり開いたから、できるだけひっそりと忍び込む。
もう有効距離の範囲内だから、アリスは俺が戻ってきたことに気が付いているはずだ。今回は……どういう反応を見せてくれるんだろう。
期待と恐れが入り混じった気分で、見慣れた彼女の仕事場に足を踏み入れる。何故か電気は消えていて、部屋に入った途端に薄い紫煙が足の先から首元に向けてじわじわと纏わりついた。少しずつ重苦しく感じる空気に気を取られた一瞬。何かが首元へじゃらりと巻き付けられた。
それが鎖だと気づいたときには手前に勢いよく引っ張られ、バランスを崩して地面に突っ伏した。
「……やっと、捕まえたわよ……」
地の底から這うようなおどろおどろしい声に、思わず顔を上げた。
正面に立つのは紛れもなくアリスなんだけど――明らかに普通じゃない。
あまりの怒りに呼吸が乱れているのか肩を静かに上下させ、夕暮れの光を背中に受ける中、鋭い目付きだけがこちらを見据えるように煌々としていた。
鎖をぐっと持ち上げられ、鼻と鼻がぶつかりそうなほどの至近距離で睨み付けられる。初めて事務所で出会ったとき以上の突き刺すような激情を浴び、背筋がぞくぞくした。理由は勿論、恐怖じゃなくて――歓喜の方だ。
あー。これは、想像以上に怒ってるやつだ。本気の一発や二発、飛んで来るかも。
なるべく相手を刺激しないよう、平常のテンションで話しかける。
「アリス、久しぶり~」
「あんた、いつ戻ってくんのかと思えば……」
「暫くいなくなってごめんよー。珍しいお土産もあるし、お詫びにいくらでも付き合うからさ☆」
謝罪の意味を込めて両手を胸の前で合わせると、すかさず手首にもじゃらりと巻き付くものが感じられた。拘束具が追加されたことを理解して、背中にどっと冷や汗が伝っていくのを感じる。
もしかして……俺、結構ヤバい感じ?
「気の済むまで付き合う、ねぇ……。だったら、言葉の通り、とことん付き合ってもらうわよ」
アリスはそう呟いて歪んだ笑いを浮かべたあと、俺の首にかけた鎖をグッと引き上げてきた。
「ちょ、アリス……息が、できないんだけど……」
「我慢しなさい。さ、行くわよ」
一瞬喉が絞まりそうになったけど、ギラギラとした飴色の瞳に睨み付けられたら何も言えなくなって。
奥のテーブルに向けてズルズルと引きずられながら、部屋を飛び出す前よりもずっと高く築かれたお菓子の山が視界に入ったところで……これから暫くの間、アリスから離れられなくなることを――少しの窮屈と絶大な興奮を感じながら覚悟した。
人に縛られるのが大嫌いな俺だけど。あの数日間の――二重の意味での束縛は新鮮で心地よかった。首輪を付けられたまま方々引きずりまわされたけど、下僕みたいな感覚で、それはそれでありって感じだったし。何でなのか分かんないけど、やっぱりアリスにはMでも対応できるようになっていた。
そんなパートナーはお菓子を口に運ぶ度、憑き物が落ちたみたいにみるみる落ち着いていった。五日目くらいに恐る恐る、最初に鎖で縛り上げだときのことを尋ねてみたけど、何も覚えていないみたいで。前後の記憶もうろ覚えだったし、きっと禁断症状で暴走したのかもしれないわねと、さらりと述べていた。
俺にはそのまま暫く反省しなさいと叱りつつ、満足げにお菓子を口に入れる姿をじっと眺めながら……やっぱりいい表情するなー、なんて隣でのんびりと考えていた。
でも、そんな日々も急に終わりを迎えて。
二週間後に鎖が外された直後だよ。アリスが俺との契約を解消するだなんて言い出したのは。
まあ内心、俺だってそろそろお別れかなって覚悟はしてたし、今までの振る舞いを考えたら、何なら遅いくらいだなって感じたくらい。
契約を結んだ最初のうちは、寧ろそれでも良いかって頭の片隅では考えてた。また自由な生活に戻れるのならそれもそれで願ってもないことだし。有効距離で相手に縛られることを窮屈に感じる自分もいたから、潮時になったらこちらから解消されるように仕向けても良いかな? なんて思ってたりして。
けれど。アリスがお菓子を口に運ぶ度に浮かべる――幸せそうな表情を特等席で眺められないのは、ちょっと残念だな、とは思う。
俺は一緒に食べることもあれば眺めるだけのこともあって、まちまちだったけど。
俺が持って帰ってきたスイーツを美味しそうに頬張る姿を見るのは、正直悪い気はしなかった。
その姿が遂に見られなくなるのかと改めて考えた時、何となく、胸が痛いような心地がして。身震いついでに、くしゃみが一つ飛び出した。今は近くにアリスがいないから、白煙を立てて髪の色が変わる。
今回は、桜みたいに淡い桃色。窓に映った色合いを目で追いながら摘まんで透かしたとき――この髪色みたいに、心の中に潜んでいた気持ちがやっと分かった。
そっか。――多分、これが恋なんだ。
どこにいても、気がつけばアリスのことばかり考えてる。SだろうがMだろうが、アリスに接してもらえるなら何だって嬉しい。
そう自覚したら居てもたってもいられず、アリスの仕事場に急いで戻った。
心の中ではまさか、そんな、なんて思っていたけど。彼女が視界に入るだけで、周囲の景色がきらきらと輝いて見えた。俺の好きな琥珀色の瞳と視線がぶつかって、ふいに鼓動がどきりと跳ねる。
思わず相手の手を握り、今の気持ちをぽろりと口にした。
「アリス。俺、アリスのこと好きかも」
「はあ? 何バカなこと言ってんのよ」
アリスは俺がおかしくなったと思ったのか。信じていないような、諌めるような口調で手を払いのけながら軽く流されたけど。
この日を境に――俺の中で、アリスへの好意がはっきり確定したんだ。
契約終了の日。結局アリスと契約してたのは二ヶ月くらいだったかな。
彼女の仕事場に集まって、最後のティータイムを過ごしたあと。いつものように幸せそうに食べる姿を眺めながらぽつりと呟く。
「アリス。俺のこと忘れないでね?」
「……あんたみたいな強烈な個性持った奴なんて、忘れたくても無理よ。ま、仕事の腕は認めてるし、また世話になることはあると思うから」
アリスは紅茶を一口飲んだ後、呆れ気味に言葉を返してきた。彼女の態度を観察するに、嫌そうだけど完全に拒絶されてないことに――ほんの少しだけ安堵した。
まあ、仮にアリスに嫌われているとしても、俺が好きな気持ちは変わらない。だって、こんなに夢中になれる存在なんて、もう他にはいないだろうから。
想いが実ったとしても、全く振り向かせられなかったとしても……彼女に対する感情は、全部丸ごと楽しめるって信じている。
「それじゃ、またね」
契約紙を破く姿を見届けたあと、彼女の仕事場を後にした。空間転移の術を使い、一気に自分の仕事場に戻って……これまでの思い出を振り返ってみた。別に契約に縛られるつもりはないけど、彼女との縁がすっぱり切れたような気がして。
それから寝ても覚めてもアリスのことが頭に浮かぶもんだから、思い立って髪の色に刻むことにした。
身に付けているドレスと同じ、淡い夕焼け色に。
* * * * *
「――ってことで、俺はアリスに夢中なんだよね! これはその気持ちの現れさ☆」
「「わー、思ってた以上にただの惚気じゃーん」」
「何々、ピュアで一途過ぎて声も出ない感じ? いやー、そんなに褒められると照れちゃうなー」
頭をかいて大袈裟に振る舞うと、二人は首をぶんぶんと横に振ったあと、ベンチにくっつくようにだらりと横になっていた。
「「いや、どっちかと言えば引いてるかなー。そういう感覚、僕たちにはよく分かんないや」」
「えっ! ひどい言い草だなー。それほどまでに惹き付けられて、離れられない存在ってこと! お嬢ちゃんたちも、きっとそのうち分かるようになるよ」
二人はまだ首を傾げていたけど。暫くして無理やり納得したかのように、顔を見合わせて頷いていた。
「「そっかー。じゃあこれ、今日のおやつのお裾分けー。お話聞かせてくれてありがとー、また遊んでねー」」
二人は俺の手の上に包み紙をぽんと乗せると、そのまま公園の出口まで軽快に歩き始めた。帰るときは割とドライなんだよねー、あの子達。
敷地を出るまで手を振りながら見送ったあと、木陰に戻りながら巾着型の包みを開けてみる。中には親指と人差し指で作った輪っかくらいのオランジェットと、小指みたいな長さの色とりどりのゼリービーンズが入っていた。どちらもころりとした丸っこいフォルムが可愛い。
そのままビターチョコレートがかかったオランジェットを一つ摘まみ、半分ほど齧りつく。弾むような触感を味わいながら、口内にチョコレートと柑橘の風味が甘酸っぱく広がった。
残りの透き通っている果肉の部分を空にかざし、レンズみたいに覗き込む。
空は快晴。だけどオレンジのフィルターを通して眺めれば、彼女のドレスと同じ淡い夕焼け色。そして――俺があの日、アリスの元に帰った時の空の色だ。
ほら、こうして遠くにいても、いつでも彼女に想いを馳せてしまうんだ。
気まぐれで飽きっぽい俺が、こんなにも縛られてるんだから――俺からの愛、覚悟しておいてよね?
了
ガットの恋までの経緯はこんな感じ。色々ひと悶着あった末に恋心を自覚した模様。
彼の恋が実るか実らないかはまだ分かりませんが、どちらに転んだとしても本人がいたって楽しそうに過ごしてるので良いですね。