菫色のルームメイト
神仕二人の出会い・ジャントール視点
神学校では寮生活になるのだ、と前々から耳にしていたものの……いざその時を迎えると、何とも言えない焦燥感のような気持ちが体を支配していた。
初めての環境に加えて集団での共同生活……どうにも気持ちが落ち着かない。 見通しが行き届かない不安感がぐるぐると渦巻く胸中を抱えたまま、事務的な手続きを指示されるがまま終え、職員室を後にしたところで大きく息を吐き出した。
入学をするにあたって招集の連絡が届いたのは一週間ほど前のこと。 集合日の初日であると聞いているものの各地から生徒が集まるため、本日を境に何日かの期間が設けられている。次々と手渡される書類にペンを走らせながら横目で周囲の様子を探っていたのだが、その間に来訪していた新入生らしき生徒は予想していたよりも少なく、片手で数えられるほどだった。
今日のところは荷物の搬入が主な内容らしく、入学式のような催し物はまた改めて行われるらしい。
先ほど受け取った書類の束から校内の見取り図を探る。お目当てのものは薄鈍色の羊皮紙の上に描かれていた。所々インクが滲んでおり、いささか古ぼけた地図は何年も前から様式が変わっていないのだろう……地図の詳細と周囲の様子とを交互に見比べながら歩みを進めていく道中で、教室の名や配置が異なるような場所をいくつか見かけた。こうなると部屋を目印にするよりも通路の形から判断した方が良さそうだと思い、先程とは視点を変えて地図を眺めることにする。
迷路のように入り組んだ校内を少しずつ通り抜け、ようやく寮の入り口へと辿り着いた。
死者の国で生活を営む者において、神仕を志す者は少なくはない。父からの勧めが大きな要因だったとは言え、神学校に進むことを決めたのは自然の流れだったと思う。
神学校を卒業して神学院へ。神学院を卒業し、研修に合格すれば晴れて教会へ仕えることができるようになる。……おそらく自分もその道を辿って、将来は神仕を目指すことになるのだろう。
そんな人生も悪くないのだと考えている脳裏の傍らにくすぶっているのは……幼い頃から共に歩んできた空想の世界だ。
キャラクターの物語を紡ぐのも、自身の創り出した物語を形にするのも好きだ。
目を閉じて夢の中に潜れば、いつだって幻想的な空間と頼もしい相棒が待つ世界へ出かけることができる。その反面――いつまでも空想の世界の中に居続けることはできないのだろうと、心の片隅で思う自分もいる。
……じきに夢を見る方法も忘れてしまうのだろうか。
大げさに言ってしまえば、神学校の生活は猶予期間なのだ。将来について考えるための分岐点を踏み出した、と捉えても過言ではないのかもしれない。
きりきりとした胸の軋みと徐々に気持ちが沈む方へと耽る思考を紛らわすように大きく頭を左右に振り、考えをやめるよう意識を別のものへ向ける。
まずはともかく。目的とする部屋へ辿りつかなければ。
寮の中の探索も興味を惹かれるが、まずは自室に荷物を置くのが先だ。身軽になってから辺りを確認する方が効率も良いし、何よりルームメイトと出会えたならば挨拶と顔合わせができる。
そう言い聞かせながらも、自室へ向かう足取りは少しばかり重い。
……ルームメイトとの顔合わせか……。
自分が不器用な性分であることは自覚しており……表情が顔に出辛い性格も相まって、不愛想に捉えられることが多い点は自分でも気を付けなければならないと思っている。
特に、第一印象は記憶に残るものだ……もしも今日ルームメイトに出会えるのならば、一層配慮して接しなければならないだろう。長い学生生活を同じ部屋で共に生活する相手になるのだし、まずはこちらから進んでコミュニケーションを取るのだと、心を奮い立たせて意気込んだ。
学生用の個室が一直線の廊下に立ち並ぶ中、今日から自分の、そしてルームメイトの自室となる部屋の前まで辿りついた。
本来ならば木の温かみのある扉のはずが、深い色合いもあって重厚な壁に感じてしまう。
いざ目の前に立ってみると余計に緊張するものだな……。
気を紛らわすために部屋の前を行ったり来たりしたものの、余計に不安を煽ってしまうよう感じてしまい、一度足を止めてみる。扉のすぐ傍にある廊下の壁に軽く背中を預けて深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
周囲に人が通って訝しげな視線を受ける前にと、覚悟を決めて再び扉の前へと足を進めた。改めてドアへ向き直り、ノックを三度響かせて向こう側からのアクションを待つ。
……返事はない。まだ到着していないのだろうか。
それならば、と先ほど受け取った黒檀色の鍵を扉の窪みへ差し込み、時計の針の進行方向にくるりと回す。静かにドアノブを回したが……いくら押しても扉は重く、固く閉ざされたままだった。どうやら鍵はかかっていなかったようで、もう一度鍵を差し込み今度は逆の方向へ回し押し開けると、難なく開いた。
木製の二段ベッドに、壁にぴったりと沿わせられた細長い机と椅子が二つ。大きな木目が目立つ机には使い込まれたような傷が無数に見受けられ、長年の寮生が残した生活や勉強の痕跡を感じられた。
部屋の奥には顔の一回りほど大きな円形の窓が付いていて、外の景色もよく眺められそうだ。先ほど職員室で聞いた話では、備品は最低限で簡素な造りだと聞いていたが……実際の部屋を見回してみると、生活を送る上でそれほど不自由のない程度に整えられている印象を受けた。
いくつかの調度品が並んだ空間の中にルームメイトの姿はなく、気構えていた手前、少しばかり肩の力が抜ける。
部屋の中をぐるりと見回し一際目に留まったのは、手前の机の傍に置いてある荷物の状態だった。
……椅子の背もたれに二つ折りにして掛けられた藍色の上着は片腕の裾が半分ほどずり落ちているし、梱包された木箱は子供が積み木を組み上げたようにバラバラに積まれていて、まるで崩れかけた城壁のようだ。その頂点に乗せられた鞄はここに来るまでに疲れたであろう持ち主を表しているかのように、くたりと横へ傾いていた。
率直な感想を述べれば……いささか乱雑な置き方だ。とりあえず部屋の中に押し込んでみた、という雰囲気にも感じる。
荷物が置いてあるということは先に到着しているようだが、この状態はいかがなものだろうか。
ルームメイトは大雑把な性格なのか、もしくは整理整頓が苦手なのかもしれない。
半ば芸術品のようなそれらを崩さないよう注意を払いながら横を慎重に通り抜け、すぐ隣の机の上に自宅から担いできた荷物をそっと置く。ついでにと自分も上着も脱ぎ、皺にならないよう椅子の背もたれへ羽織るように掛けた。
大分軽装な荷物にしたとは言え、身から離れてみると重量感が体から一気に取り去られた。今日は様子見と言うこともあり、持参した荷物はこの鞄一つだけだ。おそらく忙しい一日になるのだ……荷解きや片付けを行う余裕が取れないのではと危惧していたため、残りの荷物は明日改めて実家から送ってもらうよう頼んでいる。
ひとまずは自室に着くことができたことで、新生活の始まりが一気に現実味を帯びてきた。
それにしても、施錠もせず不在にしているとは……よほど急いで飛び出していくほどの用事でもあったのだろうか。あるいは、部屋からさほど離れていないところに出かけているだけなのだろうか。
このまま部屋の中で相手の帰りを待つか、少し散策に出てみるか……。もしかしたら近くまで戻ってきているかもしれないと思い、ひとまず廊下の様子でも、と扉に足を進めた時。慌ただしい足音と共に大きく開いたドアが自身の鼻先をかすめた。
予期せぬ衝撃に、背中にじわりと冷や汗が滲むのを感じ取る。
身の危険を察知して少しばかり後ずさったものの、扉の向こうから勢いよく飛び出してきた人物を避けることはできず、真正面から思い切りぶつかった。傷みはほとんど感じなかったが、その勢いのまま数歩後ろへ足がもつれる。咄嗟に目の前にいる相手の両腕を掴み、後方へ傾くお互いの体を支えるよう、下がった足へ力を入れて踏み留まった。
そのまま暫し硬直した状態となったものの、ゆっくりと相手を引き戻して双方とも倒れないようバランスをとる。何とか安定したところで、そっと手を離した。
飛びだしてきた張本人は表情がくるくると変わり、相当焦っていることを示しているかのようだ。早口でこちらに言葉を投げかけた。
「あああ! さっきまで一人だったから誰もいないと思って開けちまった! すまん、怪我してないか!?」
「あ、ああ……大丈夫、だ」
相手の勢いに気圧され、些か歯切れの悪い返事になってしまった。
……まさか最初の会話が挨拶ではないとは、全く予測できなかったな……。
「悪かった!」
目の前の相手は旋毛の前で両手を合わせたまま、全身で体現するかのように深々と頭を下げて誠心誠意謝っている。最初の出会いとしては面食らったものの、どうやら悪い奴ではないことはその姿からもありありと伝わってきた。
確かに逆の立場なら、自分も大いに恐縮してしまうと思うのだが……なかなか顔を上げてくれない。流石にこの状態では話が進まないし、まずはこちらから声をかけた方が良いだろう。
どう話しかけるか少しばかり頭を悩ませた結果、仕切り直しだと思い直し、ひとまず名前を告げて挨拶の言葉を述べることにした。
「僕……いや、私はジャントール。……宜しく頼む」
こちらの言葉が届いた途端、相手は勢いよく顔を上げてこちらに向き直った。
「俺はルチアーノ。 これから宜しくな!」
これでやっと相手の全貌を目の当たりにすることができた。
薄い菫色の髪にこれまた淡い青緑の瞳。満面の笑みを浮かべたままこちらを真っ直ぐ見つめ返しており、人の良さそうな雰囲気を纏っている。最初の衝撃的な出会いがあったことすらも吹き飛ばしてしまいそうな程だ。
それにしても、この紫と翠のコントラスト……惹き込まれるような色合いだ。自身の空想の世界にも出てきそうな優しい色に、目を細めてじっくりと眺めてしまう。
今度の話は夜に浮かぶ島とかどうだろうか……。敏腕ネズミの相棒とどうやって乗り込むのか、きっと夜通し作戦を相談してから向かうことになるのだろう。
……と思い浮かべていた間に、幾ばくか時間が経ってしまったようだ。視界の端、顔の前で控えめに彼の掌が振られていたのにはっと気付き、意識を一気に現実へと引き戻した。
「おーい……? 大丈夫かー?」
しまった。つい空想に浸る癖が出てしまっていた。先ほどのことに加えてこちらの様子をよほど気にしているのか、眉尻を下げて心配そうに窺うような表情を浮かべている。
先ほどとは逆に、今度は自分の方が軽く頭を下げて謝罪の意を示した。
「……すまない、少し考え事をしてしまった」
そう答えたものの……どうしても先ほどの表情が気にかかった。自分が想像している以上に相手も気に病んでいるかもしれないし、フォローはしておいた方が良いだろうと続けて言葉を紡ぐ。
「その……先ほどの件で怒っていた訳ではないから、気にしないでくれ」
相手は再び満面の笑顔を浮かべると、明朗な声と共にさっと右手が差し出される。
「ルチアーノ、で良いぜ。今日からルームメイトだしな! 俺も名前で呼んでいいか?」
初対面だというのにこの積極さとは羨ましい……これから見習っていきたいものだ。
特に断る理由もないし、友好的に接してくれるのはありがたい。相手の提案に、承諾の意思を告げることにした。
「そうだな……では改めて。これから宜しく頼む、ルチアーノ」
私とは全く違うタイプだが、これから上手くやっていけるのだろうか。
学校へ到着する前よりはいくらか軽くなった心の不安を抱えたまま、どことなく憎めない愛嬌を持つ彼を前に、これからの生活を思い浮かべながら差し出された右手を握り返すことにした。
了
神仕二人の出会い・ジャントール視点編。ジャントールは緊張したりしてそうだなーと。