絵本と紳士たち
ジャントールの絵本について・日常と過去回想
今日の仕事も無事に終わり、心地よい疲労を身体に感じながらようやく家の前へと辿り着いた。どうにか鍵を差し込んで玄関の扉を肩に体重をかけるように押し開け、真っ先に台所のテーブルへと向かう。両手いっぱいに抱えた今日の差し入れたちを何とか机の上に置き、それらを確認する作業に移った。
神仕という職業は人と接する機会の多い仕事であり、尊敬されていることもあって信徒の方々から差し入れをいただくことがある。
また、俺の場合は独り身であるということを特に気遣われているようで。何かにつけて、食べ物の差し入れを貰うことが多い。我ながら人のご厚意にかなり助けられているよなー、としみじみ思う。
自分で言うのも何だが、神仕として従事しているときは穏やかで優しいお兄さんで通っているはずで。料理もマトモにできないなんて、きっと信じてもらえないだろう。仕事関係の付き合いで生活スキルのなさがバレているのは、神学校時代の級友たちと……その頃のルームメイトであり、現同僚の親友一家くらいのものだ。
寮生活時代に目標としていた生活スキルの向上は、結局僅かの進歩に留まってしまった。ジャントールの手捌きを間近で見ていて、あまつさえ教わる機会も何度だってあったのに、一人でやると上手くできた試しがない。最近料理を覚え始めたコゼットちゃんからも一緒に作ろうと気を遣われる始末なのは、流石に胸が痛くなった。
親子そろって料理上手……そんな彼らの家にしばしば夕飯をたかりに行くことで、健康的な食生活を維持していると言っても過言ではない。その代わりに一人では食べきれないほどの差し入れを貰った時は、それらを携えて親友の家に行くのが恒例で。男手ひとつで育てるのも大変だろうし、仕事で忙しい時もあるから助かるのだと話す友人の言い分にも甘えさせてもらっている。
――とは言え、当初の名目は違っていたんだけどな。
おすそわけを口実に、友人宅の様子を窺いに行っていたのだ。
父と娘……互いが遠慮して上手くかみ合っていなかった家族としての距離感を、少しでも何とかしてあげたいと思っていた。
当事者に話しにくいことがあれば代わりに聞いて、それとなく相手に伝える。二人が普通の親子らしく振る舞えるように、懸け橋のようなことができればと密かに取り組んでいたんだけど。
……まあ、もっとも今年の輝石祭が終わってからは様子を見に行くという名目は減り、専ら友人たちの手料理を味わいに行くことがメインになってきているのは喜ばしいことだ。
今日はパンとワインを貰ったから、尚更うってつけだ。パンは今日焼いたものだと聞いており、大分時間が経過しているものの紙袋の上からでも香ばしい匂いがふんわりと漂ってくる。ワインは友人が料理の隠し味に使っている姿をよく見かけているし、明日は休みだから久々に飲み交わすのも良いかもな。
そうと決めたら実行だ。持っていくのはパンとワインと……チーズも残してあったっけか。
あれやこれやと準備をしていくうちに、手に抱えて持っていくには厳しい量になってきた。まずは持ち運ぶのに丁度良い大きさの籠を探すため、物が溢れかえっている自室の中から発掘作業を行うことにした。
籠には山盛りに詰め込んだ食べ物の差し入れに加えて、ついでにと立ち寄った本屋でコゼットちゃんへの手土産も潜ませている。あれは先週――新作の絵本を一緒に買いに行ったとき、彼女が暫くじっと眺めていた本があって。幸いにも残っていたもんだから、折角なのでプレゼント用に調達してきたってわけだ。予想以上に籠を探すのに時間を取られたものの……何とか夕飯の時間までに間に合いそうで良かった。
馴染み深い小道を通り抜け、真鍮のアーチを潜って門前へと徐々に近づいていく。何も考えなくても足が自然と動くのは、長年の付き合いが成せる業だよな。
辿り着いた先で呼び鈴の紐を軽く引き、来訪の合図を響かせる。――長めに一回・短めに二回だ。焦げ茶色のドアの前で耳を澄ませて少し待っていると、軽い足音と共にゆっくりと扉が開かれた。
出迎えてくれたのは……友人の愛娘だ。
「よう、コゼットちゃん! 遊びに来たぞー」
「こんにちは、ルチアーノおじさん。お仕事、お疲れ様」
彼女の前にしゃがみこみ、お互いの掌を軽く合わせて挨拶を交わす。勿論、しっかりと抱きかかえられているスクウィークにも挨拶だ。片手を握り握手をすると、彼女が頭を傾けてお辞儀をしたかのような素振りをさせた。つぶらな瞳にどことなく愛嬌のある顔立ちだが――友人の相棒であり冒険譚の中で生き生きとしている姿を想像するだけで、何となく凛々しく見えてくるのだから不思議だ。
この一連の動作が近頃恒例の挨拶となっており、滞りなく完了したところでお互い笑い合う。
教会を出る前には先に帰ったって聞いていたんだが……出迎えに友人の姿がないことに違和感を覚え、問いかけた。
「パパはどうしたんだい?」
「本のお部屋にいるの。あのね、考え事してるみたいだったから」
本のお部屋……ってことは、書斎だな。
他にも一生懸命伝えようと、彼女は続ける。
「知らない人ならパパを呼んでたけど……おじさんの合図だったから、大丈夫だって分かったよ」
「お! よく気づいてくれたな!」
近頃の友人は親子としての距離感が掴めていなくて自分でやっていたことを、少しずつ娘に頼むようになっていた。最近は何かにつけてコゼットちゃんに手伝いを依頼している場面もよく見かけていて、今回のお出迎えもその中の一つだ。
レーヴの村はそんなに大きな町ではないし、周りに見知った者が多いとは言え、彼女はまだ幼い。怪しい者ではないと分かるように、俺が訪問するときにはベルの鳴らし方で合図をしてほしいと伝えられたのは、つい二週間前のことだ。
こんな頼み事をするなんて全く過保護だなー……なんて、揶揄することもない。以前の二人の歪な関係性をずっと目の当たりにしていた分、今の距離感の方が安心できるというものだ。八年の月日を要したが、これからもっと親子らしくなってくるんだろう。
コゼットちゃんがお嫁さんになるまでに直っていたら良いさ。
そんな経緯があって、頼まれた日のうちに指切りをして約束を取り付けた。頼まれたことをしっかりと覚えていて、それでいて早速実行できる。賢い子だよな!
「そうか! ちゃんと気づいてお手伝いできるなんて偉いぞー! 褒めてあげよう」
彼女の頭の上にぽんと手を乗せ、ゆっくりと撫でる。はにかんで笑っている姿も可愛いものだ。
「学校の宿題があるんだろ? パパの様子は俺が見てくるから、先にやっておいで」
「うん。宿題が終わったら、また絵本読んでほしいな……」
「おお、良いぞー! ルチアーノお兄さんに任せなさい!」
籠の中に潜ませた絵本を思い返し、自分の判断に内心胸を張る。絵本のリサーチをしておいて良かった。宿題を頑張ったご褒美にもなるし、大いに喜んでくれるだろう。
「ええと、それじゃあ……中にどうぞ?」
きっと父から教わったのだろう――拙いながらも丁寧に中へと招かれ、その場から立ち上がり、屋敷へ迎え入れてもらうことにした。
彼女を部屋まで送り届け、自分は友人が考え事をしているという書斎へ足を進めることにした。軽くノックを鳴らし、ドアを開けて一声かけてから室内に入り込む。
「ジャントール、入るぞー」
夫婦揃って本が好きだった影響で、個人の屋敷にしては蔵書が多い。また、本を読むだけではなく空想の世界を語り合うことも楽しんでいたようで、アイデアを綴ったノートなんかも目にする機会があった。
背表紙が整然と並ぶ本棚の迷路の中、視線を左右に走らせつつ親友の姿を探す。俺の家の本棚もこんな感じに整理出来たらいいんだけどな、なんて思いながらゆっくりと歩みを進めていった。
ようやくお目当ての人影を捉えたのは、彼の作品が並んだ一角だった。本棚の前に丸椅子を据え置き、浅く腰掛けて手元の本を読み進めていた。
作業の邪魔にならないよう、遠巻きに横顔の様子を窺う。
代わる代わる絵本を取り出してはぱらぱらと読み進め、再び別の背表紙に手を伸ばす。辺りにはページを捲る音だけが響き渡っていて、普段から静かな空間なのにより一層静寂が強調されるように感じる。
随分と集中しているようで、俺が部屋に入ったことすら気づいていないようだ。
あれはおそらく……新作を考えているんだろうな。
親友は新しい話を作り上げる前に、決まって過去の作品に触れているようで。いくつかの絵本を読み進めては、手元に携えたメモ帳に浮かんだアイデアを書き留めるようなことをしているのだ。
……そう言えば、寮にいた頃もよく空想の世界に耽っていたことを覚えている。
よほど楽しいストーリーを脳裏に描いていたのか、想い人の喜ぶ顔を思い浮かべていたのか……ジャントールは何をするでもなく机に向かい、時折幸せそうに微笑んでいる姿を見かけることがあった。不思議に思って問いかけたこともあるが、内容については頑なに教えてくれなかった。
後に知ったことだが……父親に厭われていた空想の産物を他人に話すことに抵抗があったのだろう。そんな背景があったのならば、気軽に話せなかったというのも無理もない。
それでも、寮生活になってからも密かに絵本を作成していたというのだから、事情を知った後には尚更驚いた。作業は決まって夜に行われていて、ルームメイトの俺ですら製作過程を垣間見ることはほとんどなかった。秘密にされることや見せてくれないことへの残念さはあったものの、それ以上踏み込むことは流石の俺でも躊躇った。
親友から話を振られる機会が来たらその時に付き合おうと心に決めて、何かに取り組んでいることは薄々気づいていたものの、あえて触れないようにしていた。
その代わり、ベッドに潜り込んだ後――彼が制作に取り掛かるときの、紙が擦れる音や絵筆を走らせる音が耳に届く日は、良く眠れたんだよな。
そんなある日。エレオノールを紹介してもらって、彼が手がけた作品を詳しく知ることができた。彼女から話を聞いて親友の知らない一面を垣間見るのは、とても楽しい時間だった。暴露される側の友人からすると居心地が悪いのか……彼女の言葉を遮るでもなく、ただただ神妙そうな表情を浮かべて黙って聞いていたのも未だに印象深い。こっちも代わりに学校生活での出来事なんかを話したりして、皆で大いに笑い合ったりしていた。
今でも日常の様子は話しに行こうと、折につけて彼女の墓標に足を運ぶことにしている。……もう何年も続いている習慣だ。
友人が古びた鞄を抱え、何冊か見つかったという自作の絵本を取り出してきたとき、コゼットちゃんが大層喜んだのは言うまでもない。親友に渡されるそばから目を輝かせて一心に読み耽る彼女の姿を見て、お互い目配せをしたんだったな。それから次の休みの時に書斎の改良を頼まれて、一緒に絵本の陳列棚を作り上げたのだ。
コゼットちゃんが読むときに手に取りやすいように、と本棚の低い位置に収めるようにしたのは工夫のひとつだ。
書斎へ収納する一角ができてからは、訪問する度に読み聞かせをする機会が増えた。彼女にせがまれて語り話をしている分、改めて友人の絵本の良さが分かる。
生き生きとしたキャラクター、幻想的なストーリー、素朴だが引き込まれるような挿絵。悪いドラゴンですら討伐ではなく仲直りで決着をつけるといったように、ストーリーには彼の性格が随所に表れていてジャントールらしさを感じた。
こうやって友人の作品に触れることができるようになったのはとても嬉しい。
――可能であれば、初期の頃からじっくり読みたかったな、とは正直思ったけどな。
友人お手製の夕食を頬張りながら、コゼットちゃんが今日の絵本の感想をジャントールへ話していたときのこと。寮時代はほとんど見せてくれなかったことへの若干の不満と共に、また作ったら良いじゃないか。こんなにわくわくする話が思いつくのに勿体ないぜ、なんて話した記憶がある。
その場では軽くあしらわれてしまったが、どうやら心に引っかかるものがあったらしい。食器を片づけながら時折考え込む友人の仕草を目にしてから何日か経った後。資材を調達してきたかと思えば画材道具を次々と並べ、机に向かう姿を見かけるようになった。
書斎や彼の自室には日を重ねるごとに仕上げられていく挿絵の山が並び、次第に絵本の様相を呈してきているのが、傍から見ていて非常に心躍ったものだ。
完成した絵本を後ろ手に隠し、穏やかな笑みを浮かべて彼の愛娘にそっと手渡していた場面を見て……俺も嬉しくなって、友人の家を後にしたその足で、すぐエレオノールへ報告しに行ったのは一か月ほど前のことだったか。
絵本の制作に取り掛かっているときは寮の頃の印象が残っていることもあり、最初は極力邪魔にならないよう、扉の向こうから眺める程度にそっとしておいた。けれど、やはり少しずつ興味が湧くもので。ジャントールも特に気に留めてないような時は作業の合間にずっと居合わせてみたり、そのまま会話に付き合うことも増えた。会話と言っても、大体はこちらが何らかの話題について語り、それに対してあちらがときどき相槌をうつという、浮かんではすぐに消える泡のようなレベルのものだ。
頻度が増えたことで作業の邪魔になってるんじゃないかと心配になり、何気なく聞いたこともあるが――どうやら一人作業だと煮詰まってくることがあるらしく、良い感じに気が紛れるらしい。それに話の種になることもあるんだと呟いていた友人の意図にも、仕上がった作品を目にして気付かされたことがあった。
隣町に美味いパン屋ができたという評判は王子様が大きなパンで隠れ家を作る話に昇華されていたし、教会近くの森に一際光を放つ石があるらしいという噂話をした時は、スクウィークが星のかけらを拾って夜空へ戻すエピソードが出来上がっていた。俺としても親友の手助けができたようで、何だか少し誇らしい気持ちになったんだよな。
視線の先に佇むジャントールは、一番端の本を読み終えたところで本棚に戻していた。手元に何も持っていないところを見ると――どうやら一通り終わったようだ。集中している相手を驚かさないよう、軽く靴音を鳴らしながら近づいていく。
「今回の作品、随分悩んでるみたいだな?」
友人は俺の存在に気づいたところで徐に立ち上がり、椅子を元の位置へと片付け始めた。
「……ルチアーノか。夕飯ならもう少し後になるぞ」
流石、長年の付き合いだ。要件を言わずとも分かってもらえるのは話が早いと思いながらも、わざととぼけて聞き返してみる。
「おー、食べてっても良いのか?」
「この時間に来たのなら、元からそのつもりなんだろう?」
「ありがとな! じゃあお言葉に甘えていただいてくぜ! あとこれ、いつものやつなー」
そう言いつつ、携えていた手元の籠をジャントールに差し出した。
「差し入れのものか。助かる」
「そりゃ良かった。その代わり、今日も美味い飯を宜しくな!」
「美味い飯か……一応、善処しよう」
丁度その時、宿題を終えたであろう彼の愛娘が扉から顔を覗かせる音がしたので――お互い揃って書斎を後にすることにした。
コゼットちゃんを寝かしつけた後……互いにテーブルに向かい、友人の拵えた軽食と他愛のない話を酒の肴にしながら、手土産のワインを少しずつ喉の奥へと流し込む。こちらも良い感じに酔いが回ってきたし――ついでにと、書斎での様子を聞いてみることにした。
「そういや、今回の本は難しいのか? そこまで悩んでるところは今まで見たことないぜ?」
友人はグラスをゆったりと揺らした後、テーブルの上に戻しながら静かに答えた。
「難しい……というより、少し雰囲気の違う話を描きたくてな。考えをまとめるのに手こずっている」
ジャントールは普段から感情を表に出すタイプじゃない。酒が入っても顔色はほとんど変わらないし、失態を晒した姿なんて一度も見たことはないが――いつもより饒舌になり、いろいろな話を洩らすことが多いのだ。
それにしても。頭を悩ませるなんて相当珍しいことだな。
「成る程なー……。俺にできることがあれば言ってくれよ。相談ならいくらでも聞くぜ?」
「気持ちはありがたく受け取っておく。……だが今回は、お前に頼らない方が良いとは思っているんだ」
……折角申し出てみたのに、まさか丁寧に辞退されてしまうとは。それともあれか、俺じゃ力不足だと結論付けられてるってことなのか?
衝動的な感情の波につられ、グラスの中に残っていた液体を一気に喉の奥へと流し込む。酒の勢いを言葉に乗せ、管を巻きながら相手に不満を伝えてみた。
「何だよそれー! 俺とお前の仲だろ? 水臭いぜー」
机に突っ伏し、恨みがましい視線を目の前の親友に向け続けると――暫く言いよどんでいたが、こちらの圧力に耐えきれなくなったようで。視線を逸らしたまま、観念したように長い溜息を一つ吐き出し、ぽつりと洩らした。
「……お前に渡す本を考えていたんだ。いつも世話になっている礼も含めてな」
思わぬ言葉に、ぽかんとした表情を浮かべているのが自分でも分かる。何しろ、その返答は想定外だったのだ。今まで本を作ったとしても、大抵は愛娘か妻への贈り物にしていたのに。
意図も理由も思い当たるものがないため、相手の考えをもう一度聞き返してみる。
「俺の本……? コゼットちゃんに、じゃないのか?」
「今回はお前に向けた本にするつもりだ。……覚えていないかもしれないがな」
そう言って続けられた言葉は、あの日何の気なしに言ったもので。
「あの時お前に勧められなかったら、こうしてまた本を描くこともなかっただろう。ルチアーノ……本当に、感謝している」
酒の力も幾ばくか影響しているだろうが――掛け値なしの友人の賛辞が、普段にも増して心にじんわりと響いた。
「そうだっけか?」
気恥ずかしくなったことを表面に出さないよう、記憶に残っていないふりをする。……急に顔が熱くなってきた気もするけど、これはきっと酔っている所為だ。
この際だ。協力は断られてしまったけど、希望を伝えるくらいは良いだろう。
「そうかー……。じゃあ、折角ならわくわくする話が良いよな! 楽しみに待ってるからなー!」
――次に、エレオノールに話す内容は決まったな。
件の絵本を受け取ったら墓標の前で読み聞かせをしようと心に決め、再び友人との酒宴をゆるりと楽しむことにした。
了
新規衣装実装ありがとう!!! の妄想。やっぱり神仕たちの関係性は良いですね。