昼のひと時
仕事合間の神仕たちの話
教会の一室……少し開けた窓から涼しげな風と共に、昼休みの終わりを告げる銅鐘が耳に届く。規則正しい重厚な音色が部屋いっぱいに大きく鳴り響く中、向かいの椅子に座した老人は祈りを捧げていた頭を静かに持ち上げ、ゆっくりと前に向き直った。
そのまま、深々とお辞儀をされる。
「……神仕様、今日は本当にありがとうございました」
こちらを真っ直ぐに見つめる眼差しからは対面した際に浮かべていた悩みや迷いの影は払拭され、綺麗さっぱり感じられなくなっている。年月を経て少し掠れた声には朗らかさを含ませ、柔らかな笑みを浮かべる姿に、俺も自然と微笑みかけた。
「いえ、お力になれたのなら何よりですよ。あなたにも……安息の闇で眠る大切な人にも、穏やかな日々が過ごせますように」
胸の前で両手を軽く組み、額を近づけて聖書の一節を静かに読み上げる。目を閉じたまま暫く祈りを捧げた後、手のひらを解いて立ち上がり、視線の延長線上に構えた焦げ茶色の扉へ足を進める。少し色褪せた真鍮のドアノブをくるりと回し、目の前の相手をこちらへ招くことにした。……この方への手助けは無事完了だ。
ゆっくりと――それでいてしっかりと踏み締めるような足取りで、老人は扉をくぐり抜けていった。後ろを振り返りながら手を振る彼の姿が見えなくなるまで同じように見送った後、柱の脇に掲げた使用中の木札を反対へ向ける。未使用の文字になっていることを横目でちらりと確認し、もう一度部屋の中に戻ることにした。
神仕というものは人に寄り添う職業だ。
繁忙期・閑散期というような業務的な忙しさは、その日に教会を訪れる人数によって大きく左右される。今の時期は輝石祭の余韻も大分落ち着いてきた頃で――決まった時間に大勢の前で祈りを捧げたり聖書を説いたりするよりも、ふらりとやって来る人の相談に乗ったりするような、訪問者に合わせて個別で対応することが多い。今日の来客は昼間に集中していたから、こうして昼休みの時間がズレてしまったのも……まあ、たまーにあるんだよな。
こういった日は手早く食べられる昼食にするに限る。面会時に使っていたテーブルに向かって足を運びながら両手を大きく天へ伸ばすと、関節が奏でる小さな音とともに、肩と背筋に小気味良い疲労感が駆け抜けた。この時間なら近くの食堂でぱぱっと済ませる方が良いか、馴染みのパン屋に駆け込んで教会まで持ち帰る方が良いか……。昼時を少し過ぎたけれど、まだ客がそこそこ多い時間帯だ。どっちを選んでもきっと待つことになるだろうし、うーん……悩みどころだ。
目的物の前に辿り着き、先ほどまで自分の身を預けていた椅子に再び深く腰掛ける。椅子の背に重心を傾けながら今日の昼ごはん先を吟味し始めた矢先――一人きりの静寂が支配する室内に、ノックの音が響き渡った。
……ありゃ?
予期しない来訪者に、思わずぱちぱちと瞳を数度瞬かせる。部屋の入り口に掛けた札は未使用に変えていることを、つい数分前に自分の目で確かめたのだ。今日この部屋は俺が担当することを知っていて、なおかつ中にいると推測できる人物となると……訪問者はきっと同僚の誰かだろうな。
大方用事があって探していたのに、休憩室にいなかったからここに来たってところか。待たせるのも悪いし、とりあえず中に呼んどくか。
「はーい、どうぞー」
空腹感で余力があまり残ってない分、若干気の抜けた返事になってしまったものの……ドアの向こうにもちゃんと俺の声が届いたようだ。少し遅れて鈍く軋む音を立てながら、扉が徐々に開いていく。渋めの色合いが何だかチョコレートみたいだよなー……なんて頭の片隅でぼんやりと考えながら動く影を目で追っていると、続いて俺の視界に飛び込んできたのは――親友の、深い深い海のような青色だった。
「おー、ジャントール。外回りお疲れさん。戻ってきてたんだな!」
扉の後ろから現れたのは、学生の頃から付き合いもあり現在は同僚でもある親友だ。気心知れた相手だしなーと、椅子に座ったままひらひらと片手を振って簡単に挨拶を交わす。今日は村の見回り担当だと聞いてたから、昼のうちに教会の中で顔を合わせるとは思っていなかった。
珍しさついでに相手をじーっと眺めてみると、朝出発した時から明らかに荷物が増えている。仕事用に持ち出していた手提げ袋の他に……薄桃色の紙袋が二つ三つ、胸の前でしっかりと抱きかかえられていた。袋の表面が所々球状に歪んでいることを考えると、中身は多分丸いものが数個ずつ……野菜か果物か――きっと、差し入れを半ば強制的に手渡されたんだろうな。
職業柄、そういった経験は俺もしばしば身に覚えがある分、友人の置かれた状況も良ーく分かる。山のように積まれたお礼の品からいくつかを遠慮がちに受け取っている親友の姿が脳裏に浮かび、つい悪戯じみた笑い声を漏らしてしまった。俺の様子に気づいたジャントールが小さくため息を吐いた時、正面の袋から青々としたカブの葉がひょっこりと顔を覗かせた。
「ルチアーノ、邪魔するぞ。……少し立て込んでいる案件があってな、一度戻ってきたところだ」
ジャントールは硬い靴音を鳴らしながら真っ直ぐ部屋の中に足を進めると、抱えていた袋たちを机の上にどさりと置き、向かい側の椅子を引いて背もたれに沈み込むように座り込んだ。
……これだけ疲れてるってことは、今日のはよっぽど厄介な案件なんだろうな。
神学校時代、同室だった友人は何を考えているか分かりづらい奴だなんて周囲から言われることもあったけど――俺からすると、ジャントールは結構顔に出るタイプだなー、と思ってた。特に、怒っている時や困っている時の眉根の寄せ具合の違いとか、嬉しい時に口元を緩める表情なんかがふとした時に目について、それがまた分かりやすくって。
ちなみにその意見は当時の級友達には寄ってたかって否定されたもんだから……同室のよしみで俺だけの特権なのかもな、なんて当時はこっそり誇らしく思ってたけど。
……あの輝石祭を終えてから、そう振る舞うように変わったと言うか――感情の機微が更に分かりやすくなった。実際俺だけじゃなく、彼の愛娘からも【パパ、今日はちょっと忙しそうなの……】なんて耳打ちもされたりするんだから、嬉しい変化なのは違いない。
……っと、その件は一旦置いとくとして……。今日はジャントールが疲れてるだろうし、俺にも手伝えることがないか明日にでも聞いてみるか。
「お前も……ひと段落したところか?」
意識の奥で少しだけ考えを巡らせていた俺に、問いかける友人の視線は卓上に向けられていた。目の前に広がっているのは、開きっぱなしの聖書と――さっき炎を消したばかりで薄い白煙をまとわせるキャンドルが数本。
尋ねている口調だったものの、すっかりお見通しのようだ。見事な観察眼に思わず頰を軽く掻く。
「まーな。今日は昼間の訪問が多くてなー、やっと昼休みってとこだ」
「成る程……なら、丁度良いものがある」
そう告げると、友人は一番手前に置いていた手提げ袋を身体の前に引き寄せ、中に手を突っ込んで取り出した物をことりとテーブルの上に並べた。
そこに置かれたのは、琥珀色の紙に包まれた――俺の手のひらよりひと回り大きな楕円形の球体が二つ。包まれていてもうっすらと漂う香ばしい香りに、若干の落ち着きを見せかけていた食欲が再び刺激される。包みの一つを俺の目の前に置き、もう片方は自身の手元に引き寄せた。
「お前のことだ、どうせまだ食べてないんだろう。部屋は使用中に変えておいた……良かったら一緒に食べないか」
さっきまで昼食について悩んでいた俺からすると、願ってもない申し出だ。そろそろ昼ごはんには遅い時間にもなってきたし……ここは親友の厚意にありがたく甘えることにするか!
「おお、良いのか? ……へへ、ありがとな、ジャントール!」
はやる気持ちと食欲を抑えつつ、素早く――そして丁寧に包み紙を開ける。
きつね色にこんがりと焼けた長細いパンの中央には、色鮮やかで栄養バランスの取れた食材たちが一列に並ぶ。友人お手製の、具沢山のロールパンサンドだ。
持ち手側は包んだまま一口かぶりつくと、小麦の香ばしい風味と具材の旨味が口の中に広がっていく。塩気も丁度よく、野菜の瑞々しさも相まってあっさりと食べられる代物だ。空腹感をじわじわと満たされながら、少しずつ食べ進めていく。
大ぶりな包みのそれは見た目よりも食材が詰まっているようで、三割ほど食べ進めてもずっしりとした重さがまだ手に残っていた。
ジャントールの胃袋だと、これ一つで十分足りるはずだ。わざわざ包みまで分けてるってことは……きっと、最初から俺に渡す用だったんだろう。同じ勤め先になる時はおすそ分けを貰うことも多いけど、今日みたいな日に俺の分まで用意してあるのは珍しい。
……そういや数日前、酒の席でぼやいた記憶がうっすらあるな。
シュジュ家の夕飯が恋しくなってやって来たこと。近ごろは繁忙期ほどじゃないものの、来客に合わせた対応で不規則勤務になりがちなこと。部屋が荒れてきたのでそろそろ家の掃除を手伝って欲しいこと。良い感じに酒も入ってたから、その他ぐだぐだと話したような気がする。
俺も相手の事をよく知っているけど、ジャントールだって俺の性格を十分に理解しているわけで。仕事の忙しさにやられて食事を疎かにしがちな俺のことを心配して、用意してくれたんだろう。
内心気にかけていても、直接的には表に出さずに行動する。俺のことを気遣い屋だとか、自分のことを不器用だなんて称することもあるけれど――目の前の親友は、本当に優しい奴なんだ。
ようやく半分ほど食べ進めた頃、とっておきの食材が忍ばせられていることに気が付いた。同じものを口へ運ぶ友人をちらりと目で追いながら、ゆっくりと問いかける。
「……卵、だよな?」
ある程度の単語だけでほぼ……いや、正確に俺の意図が伝わるのも、やっぱり親友ならではだ。
「……そうだな。今朝、コゼットが手伝って用意してくれた」
そう話す親友の眼差しはふわりと柔らかく、口元も綻んでいるのがはっきりと見てとれた。
つられて俺も嬉しくなって、目の前の親友の頭をわしわしと思いっきり撫でることにした。
了
こういう、平穏な日常を一緒に過ごしている情景書くのが大好きです。日々穏やかに仲良くあれ……。