zucca

深海の夢

不思議な夢を見たジャントールの話



 珍しく夜更けに目覚めたのは、抑えようがないほどの感情が頭の中を一気に駆け巡ったからだろう。鼓動が激しく響く上体を持ち上げ、ベッドの縁に背を預けると視界を薄青く染める前髪をくしゃりと掻き上げた。
 ……長い長い、不思議な夢を見た。
 
 自分は海の底に潜っていて、注意深く周囲を見回しながら何かを探している。肩に掛けた年季の感じられる革鞄と擦り減ったズボンの裾から察するに、きっと探し物を求めて果ての無い旅を続けているのだろう。潜水用の装備は身に着けていないが、息が苦しいという感覚は全くない。――暫く歩き続けたところで、ここは夢の世界なのだと朧げながら自覚した。
 子どもの頃によく思い描いていた、空想世界の体験は久々だ。残念ながら今日は頼もしい相棒はいないようだが……折角ならばと、目の前に広がる冒険を享受することにした。
 小さな魚の群れが優雅に舞い踊るトンネルを潜り抜け、色鮮やかな珊瑚礁の絨毯を傷つけないよう進んでいく。目まぐるしく変わる景色に圧倒されながらも歩を進めていくと、少し開けた場所に辿り着いた。
 一息吐こうと手頃な高さの石に腰掛けてつま先を伸ばし、ゆっくりと天を仰ぐ。水底は非常に深いらしく、地上の様子は全く分からない。どこまでも、水中に投影された快晴の淡い色だけが視界の端まで広がっている。頭上を悠々と泳ぐ小魚に向かって掬うように手を差し出すと、赤い尾ひれと心地良い水流がゆらりと掌を撫でていった。
 休憩を終えて立ち上がり、周囲をぐるりと見回すと――少し離れた視線の左端に、不思議と目を惹かれる光景を捉えた。
 水の流れのままひらひらと揺らめく海藻と、雲のように真っ白な貝が地面をまばらに彩る中……ぽっかりと空いた中央には青白い光が球状に集まっていた。時折水面からゆらゆらと届く陽光にも負けず劣らず――林檎ほどの大きさのそれは静かに、そして煌々と輝いている。発せられる光の所為で何があるのかは分からないが、ようやく腑に落ちた。
 自分は目の前に佇んでいるものを、今までずっと探していたのだ。
 認識すると同時に両足は一目散に駆け出し、眩い光の中心目掛けて必死に手を伸ばす。指の先が微かに触れ、その質感を確かめようとした時……意識が現実へと引き戻された。

 求めていたものをやっと手に入れられる充足感と、あと一歩のところで逃した絶望感。夢の話とは言え、先程まで実体験のように感じていたからこそ……最後の訴えかけるような感情の波が思考を埋め、気持ちの整理が追いつかない。あれは夢なのだと自分に言い聞かせるほど――幻想的な光の情景が、脳裏に焼き付いて余計に離れなくなった。

 あの後、夢の中の自分は目的のものを手に入れたのだろうか。
 長い旅路の果てに辿り着いた場所。色彩豊かな生き物たちや、静寂と神秘が見事に調和した海底。水面越しに見上げた空の色合いに――長年の友人の瞳が頭によぎった。
 仮に私が突然夢の話を問いかけたとしても、ルチアーノなら真面目に……そして楽しげに答えてくれるだろう。おそらく、次の作品候補にどうだ? とかいう提案付きで、だ。
 もし続きが不明のままだったら、昼休憩か帰り道の話題にでも振ってみるか。
 朝が来るまでにはまだ時間がある。
 右手の傍で小さな寝息を奏でている愛娘の頭を静かに数度撫で、夢の続きを見られることを内心期待しながら……小さく息を吐き、夜明けが訪れる頃合いまで再び無意識の世界に体を沈めることにした。


 次に目覚めたとき、脳内に残る深海の記憶に真新しいものはなく、結末は昨夜の夢の中に取り残してきたようだった。望んだ光景を狙って体験できるほど、夢は単純なものではない。薄々予想はしていたからこそ受けるショックは少ないものの、思考の片隅にページの抜け落ちた本を読み進めているようなもどかしさが残る。
 ――しかし、これはあくまで夢の話だ。途切れたページを紡ぐことはいくらでもできる。自身の作品として完成させるのだとしたら、理想的な探し物の正体を導いていけばいい。
 明確な答えが存在しない事柄ならば、仮定や推測に正解も間違いもない。当初の予定通り友人との話の種にすることに決め、職場へ向かうことにしたのだった。

 今日のルチアーノは町の巡回担当だったらしく、日中に姿を見かけることはなかった。普段なら午前のうちに休憩室や廊下辺りで顔を突き合わせるパターンが多いだけに珍しい。
 本日最後の来訪者を見送り、一息ついたところで窓の縁に片腕を預ける。半分ほど開けたステンドグラスからは夕暮れを誘う涼しげな風がするりと通り抜けていき、透過した街灯の光が鮮やかなタイルを敷き詰めたように床を彩っていた。暫く何気なしに外の景色を眺めていると――馴染み深い菫色の髪を捉えた。
 訪問先で手渡されたと思われる大きな花束を両手でしっかりと抱え、やや覚束ない足取りで教会の門をくぐっている。手元の荷物が重いのか、抜けた先の門柱に背を預けて一休憩しているようだ。大きく息を吐きながら顔を上げた友人と丁度目が合う。相手の助力を請う声に軽く右手を上げた後、急いで階下へ向かうことにした。
「いやー、助かったぜ。ありがとな、ジャントール」
「ちょうど見かけたからな。それにしても大きな花束だな」
「そうだよなー。売り物にならない品物だって言ってたけど、立派なもんだぜ。是非とも教会に飾ってくれってさ」
 ルチアーノから半分受け取ったブーケには、白と黄色の花弁がぎっしりと詰められており、足を動かす度に甘い香りが鼻孔をふわりとくすぐる。無事に執務室まで運び入れたところで、当直のシスターへ処理を引き継ぐことにした。私としては花瓶に収めるところまでサポートするつもりだったが――隣に注がれた視線を感じ、相手の言葉に甘えることにした。もしもルチアーノが流れるような失敗を引き起こせば、帰りが遅くなること請け合いだ。彼女に任せておくのなら、特に問題ないだろう。
 そのままの足で帰路へ着くこととなり、肩を並べて教会をあとにする。折角の機会にと、今朝の夢の続きについて投げかけてみることにした。
「へー、面白そうな話だな! 今度の作品にするのもいいんじゃないか?」
 頭の後ろで両腕を組みながら、隣で楽しげに話すルチアーノは――まさに予想を裏切らない反応で。自然と口角が緩んだのが分かった。私の様子に首を傾げつつ、エメラルドグリーンの瞳に怪訝な色を呈した友人に対し、一呼吸置いて言葉を続ける。
「いや、すまない……お前の返答が、あまりにも」
「想像通りだった、ってか?」
 こちらの言葉尻を取るように被せられた不服そうなトーンに、相手の様子を窺う。声色とは裏腹に、表情には不釣り合いなほどの笑顔が溢れていて。
少しの間見合ったあと、冗談交じりの視線を交わして小さく笑みを零したのだった。
 歩みを進めながら、改めて問いかけることにする。
「お前なら、光の正体は何だと思う?」
 質問を受けた友人は歩幅の調子に合わせて呻き声を二言三言漏らしつつ、顎に手を当てて真剣に知恵を絞っているようだった。十歩ほど進んだところで、徐に口を開く。
「俺はー……やっぱお宝とか? もしくは――そうだな、美味しい食べ物なんかも捨てがたいよなー」
「成る程……その考えも面白いな」
「でもよー、ジャントール」
 帰路に向かう足はそのままに、ルチアーノは勢いよく人差し指を向けてきた。
「例えばそれが有益な何かだったとして、だ。手に入れて終わりじゃないだろ? 俺だったら、主人公はどうするんだーとか、その後は何に使うんだろうなーなんて考えるけどなあ」
「それは……結末の後の話、ということか?」
 相手の意見を掘り下げるべく質問を続けると、大きく頷いた。
「おう。まあ、お前の描く話なら最後はハッピーエンドになるって信じてるけど。何となく、最後のページの先でも幸せが続いてほしいって、俺は期待したいけどな」
 友人の発言に、はっと目を見張る。

 思い焦がれていたものに手が届いたとき、どうなるのか。夢の結末が分からなくなったことを理解したとき、私には手に入れるまでの道筋しか意識が向いていなかった。しかし、目の前の友人は――彼らの未来のことにまで気を回し、考えを巡らせている。
ルチアーノとは性格も思考も全く異なるからこそ、こうして違った視点を向ける重要性に気づかされることも多い。
相手に向けて、素直に感謝の意を述べる。
「……そうだな。お前に聞けてよかった」
「お、参考になったなら良かったぜ!」
 誇らしげに笑みを浮かべる友人にこちらも大きく頷き、再び他愛のない話を繰り広げながら帰路を進むことにした。

 私も……願わくば、そうであってほしいと思う。
 友人が言葉に込めた思いを反芻しながら、今朝の夢の結末に思いを馳せる。
 追い求めたものを無事に手に入れられた青年と手中に収まった光の情景が、脳裏にはっきりとイメージできたような気がした。

 願わくば――青年と、長い旅路の果てに見つけた宝物に、幸あらんことを。
 隣で歩く友人の耳には届かない声量で……仕事で祈りを捧げる時と同じように、そう小さく呟いたのだった。


仕事の帰り道とかに、他愛のない話とかしていてほしい。