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Halloween Alice 本編

8 青虫・ハンプティダンプティ

 例の図書館へ行くと決めて、いざ出発したものの。目的地までの道のりは予想以上に果てしなく……仕事場を後にしてから、もう一週間が経っていた。空間移動の術は行ったことのある場所しか使えないため、今回はこうして地道に向かうしかない。
 その代わり、盲点となっている可能性も高く、未知なる情報への期待が膨らむ。今度こそとの気合いを込めて、足を進めながら腕をぐるりと回転させつつ周囲を大きく見回した。
 この辺りは話に聞いていた通り、共存地域の最北端……ちょうど魔族地域に入る手前の土地だ。建物も民家も視界に捉えることが難しいほどの自然豊かな景色は、まさに辺境と称するのがぴったりな場所だった。
 日頃から日当たりの悪い土地らしく、道の端々には掌に収まる程度の一般的なサイズからあたしの身長を超える大きさまで――多種多様なキノコがぽつぽつと生えている。道すがら薬効のある品種も採取したし、本業には既に良い影響があったのは幸先が良いのかもしれないわね。
 ヴァーレントの話だと夜に光るやつもあるみたいだから、幻想的な空間になりそうで。こんな切羽詰まった状況じゃなければ散策したりして楽しめるんだけど。
 長らく続いている人気のない特有の景色が――あの日魔族地域へ行ったときの記憶と被り、情景が脳裏に蘇った。当時は意を決して一人で乗り込んだけど……こうして目的の相手と共に行動するようになるなんて、不思議な気分だ。思考につられて、ふと隣のパートナーに目を向けた。
 気配を感じとったのか、ヴァーレントもこちらに視線を送ってくる。
「何かありましたか?」
「……いーえ。ほら、ヴァーレント。あの目印よね」
「ええ。もう少しで着くのではないでしょうか」
 森に入ってから随所に案内用の看板が立てられていたこともあり、道自体は迷うことなく進むことができた。森の一角にある開けた土地に辿り着くころ……ようやく件の建物が姿を現した。

 ミルクチョコレートのような茶色の屋根……扉の傍にそっと置かれた、本の刻印が記された立て看板。たどり着いてみれば森の中でも随分と目立つ風貌で、明らかに図書館だと分かる佇まいをしていた。
 着いたはいいものの――正面に構えられた両開きのガラス扉は固く閉ざされていて。持ち手に掛けてある木製のプレートに刻まれていた情報から、開館まで小一時間はかかるということが判明した。今日は宿屋を少し早めに出発したし、まだ開いてない可能性も大いにあったんだけど。思わず残念な声を漏らしてしまう。
「あー。もう少しかかるみたいね」
「仕方ありませんね。……では、ここで休憩しましょうか」
 ヴァーレントは扉から遠ざかり、少し離れた位置で立ち止まると手際よく指を鳴らした。目の前に立ち並ぶ樹木の脇に、いつも使い慣れているお茶会用の椅子とテーブルがさっと出現する。屋外に用意された影響からか……木陰の傍に元から置いてあるテラス席のような雰囲気を醸し出していた。
 慣れた手付きでテーブルセッティングを始めるパートナーを横目で眺めながら、思わず軽く息を吐き出した。
「あんたも大分躊躇なくやるようになってきたわね」
「このまま待っていれば、お菓子切れでアリスの機嫌が悪くなるのは目に見えていますから。時間に余裕もありますし、一息入れた方が賢明です」
 作業をぴたりと止め、振り返って浮かべた微笑は――まるで核心をついたとでも言わんばかりの誇らしげな色を含んでいて。かれこれ行動をともにしてきて、ヴァーレントの表情も大体読めるようになってきたと改めて感じた。まあ……正直あたしもそろそろ糖分補給したかったし、ありがたい提案であることは間違いない。
 図星をつかれたこともあり。差し出されたレースのナプキンを受け取って、そのままテーブルの前に着くことにした。

 やっぱり、お菓子を食べてるときが至福のひと時だわ。
 炎の術で軽く表面を炙ったドーナツは、少し溶けた砂糖と中の生地のほくほく感がちょうど良い。紅茶の風味がほどよく香るミルクティーはほんのりと甘く仕立てられていて、太陽の恩恵がほとんどない状態の移動で冷えた身体に染み渡る温かさだった。本当、多種多様なレシピに対応できる辺り……階級のことを考慮に入れなくても十分有能なパートナーなのよね。
 テーブルに用意されたお菓子を食べ終えても開館を待つ時間に余裕があったので、図書館の周辺を散策することにした。……実は到着してから、建物の裏手から規則正しく響く硬質な音がずっと気にかかっていて。ヴァーレントを引き連れて、恐る恐る出所らしき場所へと向かってみた。
 真っ先に目に入ったのは、細い枝を刈り終えて横に寝かせられた数本の大木。切り株の前に立つ一人の人物が、大きな斧を両手に握りしめながら――川が流れるように淀みなく動きつつ、次々と薪を拵えていた。音の主とその原因を目に収めたことで、ひとまずほっと息を吐く。周囲を見渡すと、彼の仕事の成果と思われる薪が建物の壁一面にずらりと積み重ねられていた。あたしとそう変わらないくらいの年齢で難なく丸太を軽快に割っていく姿から、力仕事が得意な人物だということを十分に物語っていた。
 位置関係的に背中を向けているせいか、向こうがなかなか気づくことはなく。あたしたちがそっと見守り始めてから三本目の丸太を割った後……ようやくこちらの存在に気づいたようで、薪を拾い上げる手がぴたりと止まった。
 少しずつ相手との距離を縮めながら、ソーダアイスのような淡い髪色の少年がこちらに向き直った姿に、はっと目を丸くした。
 顔や腕のあちこちには大きな縫い傷が刻まれており、壮絶な怪我を経験したような過去が窺い知れる。少し気だるげな両目は……左は赤、右は青と鮮やかな色合いで、外見の異質さを強調しているようだった。
 あたしが一瞬怯んで二の句が継げなかった隙に、ヴァーレントの方が先に口を開いた。
「こんにちは。図書館の人でしょうか」
「そう、だけど……おれは中の仕事、そんなにできないし……アーズルは……今、いない」
 ぽつりぽつりと途切れながら話す独特な口調で、彼は状況を説明してくれた。確か、アーズルって人が館長だったわね。
「どのくらいで帰ってくるかしら? あと、どんな人なのか特徴を教えてもらえると助かるんだけど」
 逸る気持ちが抑えきれず、ついまくし立てるように質問を畳みかけてしまった。あたしの詰問を受けた後、彼は口を閉ざして考えているような素振りを見せる。少しして持っていた斧を壁に立てかけたかと思うと、切り株の横に置いていた大きなスケッチブックを手に取り、ページをめくって何かを書き始めた。手が止まったところで、書き記した用紙をこちらにぐいと見せつけてくる。
 “己、呪いのせいで長時間話せない”
 ……確定型か制限型かは分からないけど、どうやら言葉を発することに制限を受けている体質のようね。文字はそこそこ整えられているのに、青いクレヨンで記された柔らかい筆跡が年齢より幼く見せるようで。見た目とのギャップも相まって、何だか気持ちが緩んでしまう。
「分かったわ。その形式で大丈夫だから、教えてもらえる?」
 若干平静さを取り戻しながら、できるだけ相手に詰め寄らないようにゆっくりと話しかける。スケッチブックにまたもや書き始めた少年の様子をじっと見守りながら、少しして再び提示された用紙に目を通した。
 “もう少し待ってたら、帰ってくる”
 このやり取りに、何となくこちらも言葉を発するのを躊躇われるような気分になって。相手と顔を見合わせながら、こくりと大きく頷いた。


 そのまま休みなく丸太を割り、壁際に積み上げる少年の動作をぼんやりと眺めながら座り込んでいると、さくさくと響く軽快な足音が背後から耳に届いてきた。
「ただいまー、オーヴォ。良い子にしてたかしら? ……あら、お客さん?」
 待ちかねた主の登場に、立ち上がって声の方向に身体ごと振り向く。食料がこんもりと詰め込まれた紙袋を両手で抱えた向こうに――持ち主の顔がかすかに見えた。荷物を薪の上にそっと置いたかと思うと、上着の裾をひらりとはためかせながら華麗にお辞儀をする。
「初めまして、お嬢ちゃん。そしてお兄さん。アタシはアーズル・オルガ。ここの図書館の館長よ」
 一礼から戻った佇まいは細身ですらっとしていて、背丈はヴァーレントより少し高い。外見はパートナーとそう変わらない年齢に見えた。異国情緒溢れる藤色の装束は肩から袖口にかけてお札のような布きれが何枚も貼っていて、童話で読んだことのあるキョンシーのような出で立ちだ。ココアパウダーのような焦げ茶色の髪は肩のあたりでぴょこんと外にはねており、何だか愛嬌を感じる仕上がりで。緑色の瞳は瞬きするたびに、長い睫毛が優雅に揺れていた。
 意外と背の高い相手を見上げながら、あたしたちも挨拶を交わすことにした。
「ヴァーレンハイト・マッドハッターと申します」
「あたしはアリス・リーヴァレッタ。念のため聞いとくけど……あんた、男よね?」
 一人称に合わせてなのか、声のトーンは高めに振る舞っているようだけど――身長とか肩幅とか、随所に隠しきれない男性らしさを感じていて。そのアンバランスさが引っかかり、思わず尋ねてしまった。聞かれた相手は気を悪くすることもなく、友好的に答えてくれた。
「あ、もしかしてこっち系の人だと思ったかしら? 勿論男よー。この口調は職業柄みたいなものね」
「職業柄ぁ?」
「ほら、図書館やってると色んな人が来るじゃない? アタシ、背が高いし血色も悪いしで子供たちに怖がられること多かったから。言葉遣いを柔らかくしてるのよ。あと、メイクの力もね」
 メイクしてるって言われても……あたしが気づいたのはせいぜい睫毛くらいのものだ。元から中性寄りの顔立ちをしているようだし、化粧を落としたところでそんなに変わらないと思うけど。
 あまりにも不思議そうな表情が滲み出ていたのか……証拠よ、とまくられた腕を見てぎょっとした。血色が少し悪そうな――身に纏った服に近い薄紫肌の色が見えて、失礼だと分かりながらも思わず眉根が少し歪んでしまう。
「ね? 技術の力って凄いでしょ?」
 ウインク付きの笑顔は眩しいくらい輝いていて、当人は気にしている素振りもなく、あっけらかんとしているようだった。
「さーて、本を借りにきたのならアタシのお客さんよ。さあ、こっちにいらっしゃいな。オーヴォ、一旦中に戻るわね」
 こくりと頷く少年に笑顔で手を降りながら正面の玄関口へ戻る館長に続き、再び表の道まで戻ることにした。

「さっきの男の子は、外にいたままで大丈夫なの?」
 話題の少年は――あたしたちが館長と合流したのを見届けた後、薪割りの作業に戻ったようで。扉が閉まる前に、あの規則正しい音が再び耳に届くようになっていた。
「大丈夫よー、仕事が終わったら中に戻ってくるわ。あの子はオーヴォ・シュタイン。昔、大怪我を負った状態で外に倒れてたのを見つけてねー。血は繋がってないけど立派な家族よ。アタシもオーヴォもちょっと姿は変わってるけど、れっきとした人間。……アタシともども、仲良くしてあげてね?」
 そうにこりと微笑むアーズルに先導されながら玄関を通り抜けた先には。人一人がちょうど収まりそうな細長いカウンターが備えられ、受付のような間取りが広がっていた。奥の窓際には休憩用なのか、膝の高さくらいのテーブルに小さな丸椅子が四つ並んでいる。アーズルに促されるがまま、全員が腰を落ち着けてその場に座り込んだ。
「さーて、どんな本をお探しかしら? 近頃人気の空想本? 歴史のロマン溢れる伝記物? それとも探求心をくすぐられる魔術書? やっぱり定番の図鑑だって捨てがたいわよね~。希望があればいくらでも紹介するわよ!」
 身を乗り出しながら目を輝かせて話を振ってくる姿から、本に対する愛情がひしひしと伝わってくる。相手のたたみかけるような話術の勢いに若干押し負けつつも、こちらの要望を何とか口に出した。
「あたしたち、契約について調べにきたの。……有効距離について、対処できる方法を知りたくて」
 真面目な顔で話し始めたことが功を奏したのか。館長はあたしたちの顔を見比べるように眺めたあと、少し落ち着いた様子で事情を把握したとでもいうように何度も頷いていた。
「ふぅん、成る程……訳ありな感じなのね。それなら望むものを提供してあげなきゃ館長の名が廃るってものよ。じゃあ二人とも。改めて、辺境図書館へようこそ。知識は力っていうのがアタシの持論よ。……さあ、ここで好きなだけ力を付けていきなさいな」
 アーズルはそう言葉を発したあと、背後の壁に控えていた両開きの扉を大きく開け放った。

 扉の先に広がるのは、あたしの数倍の高さはゆうにあろうかという本棚の壁。外から見て三階建てだと想像していたけど、館内は上まで吹き抜けになっていて……真っ直ぐに伸びる棚の中に、天井まで埋め尽くしそうなほどの本たちがびっしりと陳列されている。一部の壁には階段や簡素な椅子を置いた小さな休憩場所が設置されていて、どこでも手に取って自由に読めるような造りをしていた。予測していた以上の蔵書量に、暫く目の前の景色を呆然と眺めることしかできなかった。
 これだけの蔵書を備えてるなら、色んなところから頼られるのも無理はないわね……。実際この目で確認して、女王様やリーブレから提案されるのも納得できた。

* * * * *

「気になる本があれば、ここの机で自由に読んでちょうだい」
 そう言って案内されたのは、本棚の壁に囲まれた先の――中央フロアに広がる大きな机。八人掛けのテーブルには天板の縁にアンティーク調の細かな造形が刻まれていて、趣深い雰囲気を醸し出していた。
「それと、貸し出しも行っているわ。返却期限は後ろに書いてあるから間違えないようにね。延滞したらオーヴォが取り立てにやってくるわよ?」
 悪戯染みた笑みでこちらに語りかけるアーズルを眺めながら、彼の仕事ぶりを思い返す。あれだけ休みなく薪を割り続けられる体力と怪力を間近で見た以上、一般人には有効な脅し文句になるわね……。
「アタシは受付にいるから、何かあったら聞きに来てね。あ、夕方には別のお客さんも来ると思うから仲良く利用してちょうだい~」
 そう言い残して、館長は颯爽と扉の向こうへ消えていった。あの感じだと辺境の地であるにも関わらず、お客さんもそこそこ来てるみたい。まあ、あたしもこうしてお世話になってるんだし……これだけの蔵書が揃えられていたら無理もないわね。
 ひととおり説明を受け終えたところで、ヴァーレントの方へ向き直る。
「そんじゃ、手懸かりを探しましょっか」
「そうですね。では、私はこちらの棚から調べますので」
「了解。あたしはこっちから回ってくわ」
 互いの進行ルートを確認したうえで一旦解散とし。まずは各自が情報収集に勤しむことにした。


「契約についての本は……この辺かしら」
 天高く雑多に置かれているように見えた本棚は区画ごとに分類分けもなされていて、ジャンルを見つけ出すのに苦労することはなかった。契約関係の蔵書を片っ端から取り出しては、手がかりに結び付きそうなページを読み進める。しかし……机の上にいくつもの本の塔が立ち並び始めても、有力な手がかりには全くと言っていいほど辿り着けていなかった。
 文字の羅列を追うのに疲れを感じてきたこともあり、調べ終えた本を仕舞うついでに他の本棚をふらふらと眺め見る。多種多様な書物が並ぶ空間は、あれだけ楽し気に語るだけあって館長の手腕と本への愛情を改めて感じた。
 ちょうど裏側の本棚に回り込んだところで、先ほど別れたパートナーとたまたま鉢合わせた。とりあえず、現状でも聞いておこうかしら。
「何か見つかった?」
「魔術に関する蔵書を見ているところですが、今のところ進展なしですね」
「こっちも同じよ。契約関係追いかけてるけど、さっぱりだわ」
 お互い収穫のない状況にため息が出そうになるけど、まだ調べ始めたばかりなのだ、悲観するにはまだ早い。
 そう言い聞かせながらパートナーの姿を何気なく観察してみると――同じように一休憩入れているようで、この辺りの本に目を通していたようだった。ちょうどヴァーレントが手に携えていたのは、お菓子のレシピ本。あれだけレパートリー豊富に作れる腕があるのに、まだ調べ足りないことがあるのかしら。思わず口から率直な感想が漏れだした。
「そんなの読まなくたって、十分作れてるじゃない」
 ゆったりとページをめくる様子から、興味を持って眺めているようで。手を止めることなく、あたしの質問にもさらりと答えてくれた。
「これも趣味のうちですし、日々研鑽ですから。それに、今は身近に感想を聞ける相手がいますし。……明日のレシピ、何か要望はありますか?」
 不意に質問を受け、相手の持ち物をじっと眺める。ひときわ目を引いたのは、元気が出そうなほど鮮やかなオレンジ色のケーキ。
「……カボチャのタルト、かしら……」
「承知しました。……では、そろそろ戻りますので、また後ほど」
 すんなりと快諾し、丁寧な所作で本を元の場所へ仕舞い込んだあと。パートナーは左隣の本棚の奥へ消えていった。表紙を飾るレシピにつられたけど、きっとヴァーレントなら完璧なお菓子を出してくれるはず。
 明日のティータイムの楽しみが増えたことを待ち遠しく感じながら、あたしも再び本探しの旅へ戻ることにした。


 目ぼしい本をかき集め、机に積んだ本を片っ端から読み進めていく。行儀良く整列した文字の羅列を追うのは体力も集中力もごっそりと消費するようで、倦怠感が少しずつ身体中を支配するような感覚になる。大きく首を回すと関節が動く小気味いい音とともに、肩の辺りに張っていた緊張感が少しほぐれたような気がした。
 手に持っていた緑色の本を丁度読み終えてぱたりと閉じたとき。テーブルに何かが当たる硬質な音が聞こえたかと思うと、ここの主が正面の椅子に座っていた。
「どう? お目当てのものは見つかったかしら?」
どうやら差し入れを持ってきてくれたようで――美味しそうなフルーツサンドが彩り良く並ぶ皿が、目の前にそっと配置されている。
 手が汚れにくい軽食を用意してくれる辺り、本当に本を大切にしてるのね。
 相手の質問を受けて、疲労感とともに大きく息を吐き出した。
「それが、全くなのよね……」
「まあまあ。根詰めても良いものは見つからないものよ~。ほら、一息入れてリフレッシュしちゃいなさいな!」
 アーズルは周りに広く散らばっていた本たちを手際よく横に積み上げ、お皿をずずいと手前に押してくる。パンの間に挟まれた果物たちは宝石のように鮮やかで、暫く無機質な文字を見ていた目にはもの凄く魅力的に映った。館長の厚意をありがたく受け取ることにし、手前にあった苺入りのものをぱくりと口にした。小麦の素朴な味わいのパンと、ふわりと泡立てられた生クリーム、そして果物のさっぱりとした甘さが口いっぱいに広がり、疲れた体を癒すかのように染み渡っていった。
 残りの差し入れもぺろりと平らげたあと、再びページをめくりながら文字の羅列を目で追う作業に戻る。四苦八苦している現状に子供のころから今までの苦労が記憶に呼び起こされ、ふつふつと怒りの気持ちが胸中に渦巻いてきた。
 全く関係のない館長のいる前で、つい怨嗟の言葉をぶつぶつと呟いてしまう。
「……本当、このシステム作ったやつに文句言ってやりたいわ…」
 どの辺りを読んでいるのか気になったのか……アーズルはちょうど背後に回ってきたようで、あたしの頭の上からひょっこりとページを覗き込みながら――さらりと妙なことを口にした。
「呪いのこと? それならメイちゃんのことでしょ? 多分そろそろ来る頃だと思うわよー」
 ……今、聞き捨てならない発言が耳に入ってきたような……。相手の発言を確かめるよう、恐る恐る問いかける。
「……メイちゃんって、もしかして冥王のこと…?」
「そうそう。ずいぶん前にやってきたときに意気投合してね。あだ名で呼んでいいって言うからその間柄よー。アタシにとっては気のいいお兄さんって印象だわ」
 冥王と面識があって、それなりの頻度で訪問されるレベルの関係性。目の前にいたあまりにも強力な情報筋に、思わず立ち上がってアーズルの方を呆然と眺めた。
 だって、これが本当なら。
 契約についての情報だって色々と聞き出せるだろうし……何なら、冥王は呪いの制度を作った張本人なのだ。
 もしかしたら、呪いの内容自体に干渉することだってできるかもしれない。
 今まで抱えていた問題に対して、一気に光明が見えたような気がして。語気に後押しされる形でアーズルに詰め寄る。
「アーズル、冥王様に会えないかしら! どうしても聞きたいことがあるの……!!」
 あまりにも必死の形相をしていたのか……あたしを宥めるように手を前に出し、少し考えるような素振りをとった。
「あら……それならナイスタイミングかもね。アタシの読みだと、今日辺り……この前借りていった本を返しに来るはずよ」

 その言葉を反芻する間もなく。
 突如、勢いよく開け放たれた入り口のドアから、誰かがずかずかと室内に乗り込んできた。
 静かな部屋に反響しながら響き渡るドアの開閉音と、足音を軽快に鳴らしながら近づく人影が――これから始まる波乱の展開を示唆しているように感じられた。


 お姉さん系お兄さんと無口少年が運営する図書館。そして来訪者の存在は、吉と出るか凶と出るか……。