Halloween Alice 本編
9 冥王
右手に掴んでいる本をひらひらと振りながら現れた人物は、開口一番気の良さそうな声を放った。
「よー、アズ! この本も中々面白かったぜ!」
「あらいらっしゃい、メイちゃん! 今日も気に入りそうな本、用意してるわよ~」
話しかけられたアーズルも呼応するように立ち上がり、相手に近づきながら同じような声音で応対する。お互いあだ名で呼び合う辺り、本当に面識のある間柄なのね。
ただ、あたしは……目の前で繰り広げられる談笑をよそに――理解力だけが、ぽつんと取り残されていた。
この方が冥王。
世界を作った絶対的な神であり……あたしにとっては、人生を狂わされた制度を作った諸悪の根源で。
ひとまず相手の人となりを探るため、一挙一動を目に焼き付けるように様子を窺った。
頭まですっぽりと覆っていたマントをばさりと外した観察対象者は――想像していた以上に、人間に近い姿をしていた。
胸辺りまで伸ばした黒髪は、漆黒という表現がぴったりなほど光を吸収していて冥王という名に相応しい色合いだった。やや垂れ目がちの眼差しも同じように黒く、照明の光を反射してきらりと輝いている。
服装もいたって一般的な格好で、正面に逆十字の文様が入ったローブを纏い、冥王信仰の聖職者に扮しているようだった。教会勤めだと述べられても何ら違和感はなく……町で会ったとしても、神様だなんて多分誰も気づかないと思う。
いざ目の前に現れてみると……昔、本で読んだときのような偉大さや神々しさはほとんど感じられず。向かい合うアーズルと大して変わらないくらいの容姿をしていて――誤解や神罰を恐れずに言えば、近所にいるお兄さんという表現がぴったりな風貌をしていた。
そのまま世間話に花を咲かせそうな雰囲気を見守っていると……あたしに向けてこっそり手招きをする館長の姿が目に入った。そのまま背中に回り込まれてぐいぐいと物理的に押されていき、二人の間に割って入る形をとる。動揺につられて上擦る声をなるべく抑えながら、とりあえず挨拶の言葉を口に出した。
「こ……こんにちは、冥王様」
「ん~? お前、どこかで見たことあるような……。あー、お菓子狂いの魔女か!」
向こうからの返答に、思わず虚をつかれたような声をあげてしまった。
「あたしのこと、知ってるんですか?」
「おー、まあな。あと、別に敬語使わなくて良いぞー」
あまりのフレンドリーっぷりに言葉を失ってしまい、こくりと頷く。アーズルが言っていたように、本当に気のいいお兄さんって感じね。
冥王はあたしの顔を見つめながら、急に何かを堪えるように――声を噛み殺しながら静かに笑い始めた。
「何てったって、とんでもねー確率で自分に不利益被る呪いを引き当てたやつ、なかなかいないぜ!」
……まさか、そっちの方面でも認識されていたとは。本当に……色んな意味で世界を見守っているのね……。
あたしの境遇を知っていてなお、軽快に笑い飛ばしている姿に若干殺意が芽生えそうになったけど。相手は神だ……流石にそういうわけにもいかない。
これがガットなら一発殴った挙げ句、お礼の一言が飛んでくるまでが一連の流れなんだけど。
相手方の笑いが落ち着くのを待ち、静かなる闘志を抑えながら強く念を押すように相手へ話しかける。
「呪いや契約について、聞きたいことがあるの」
あたしの質問に、相手はこめかみに指を当て、悩んでる素振りを見せていた。
「どうしようかねー……。ま、俺の城に来てるんならあれだが、ここの俺は完全オフだ。折角会えたのも縁だし、特別に質問に答えてやるかー」
本当、気のいい神様で良かったと心底思いつつ。現状報告も含めて、この場にいないパートナーを呼びに向かうことにした。
* * * * *
読み終えた本をいくつか仕舞い、がらんとした長机の上にはいくつものケーキを乗せた皿が広がる。最初は提供者のヴァーレントも同席していたんだけど……挨拶を軽く交わしたあと、カップ一杯分の紅茶を飲み終えてアーズルたちとともに本棚の壁に向かっていった。
多分だけど……あたしが遠慮なく聞けるように、ヴァーレントなりに気を遣って二人きりにしてくれたんだろう。
そうとなれば。千載一遇のチャンスなんだから、何としても有益な情報を引き出さなきゃいけないわね。
意気込みを胸に秘めて向き直ったとき。冥王様は指を三本立てて、あたしの眼前に近づけながら示してきた。
「何でも聞けるってのも恵まれすぎだし、三つまでにしてくれよー」
回数制限付きだけど、十分ありがたい条件だ。折角の機会を無駄にしないよう……脳内で自分の知りたいことを少し整理してから相手に向かって問いかけることにした。
「そうね。……じゃあ一つ目。呪いの内容変更とか、解除はできないの?」
「無理だな。俺の手を離れた以上そいつの一部になってる分、変更はきかねえ。世界の制度的にも呪いをなくすことはできねえし、それは諦めろー」
玉砕覚悟で一番確認したいことを聞いてみたけど、開口一番バッサリと切られてしまった。流石に一筋縄にはいかないか。机に突っ伏したくなる気持ちを抑えつつ、次の質問を口にする。
「……それなら二つ目。そもそも、どうしてこんな制度作ったのよ」
冥王様はこちらの反応を楽しそうに眺めながら、腕を組んで椅子の重心を傾けながらゆらゆらと前後に揺れていた。
「俺らはよ、世界の皆に面白おかしく暮らしてほしいだけなんだよなー」
これは昔に本でも聞いていたから、理由としては知っていたようなものだ。
「命に関わるようなもんは振り分けてねぇつもりだし」
「あたしにとっては死活問題なんだけど!」
その言い分については断固否定しておきたい思いが勝り、思わず声を荒げてしまった。
「まあまあ、落ち着けって。自分の持ってる呪いとかひっくるめて、人生を楽しんで欲しいわけよ。そのおかげでいろんな人に会えたり、付き合いができたりすることもあるしな。お前も――結構経験してきただろ?」
相手から逆に話題を振られて、自分が今まで辿ってきた道中に改めて思いを馳せる。
この呪いがなかったら……きっとヴァーレントに出会うこともなかっただろうし、他の人たちとの繋がりもない世界だったのよね。
物腰柔らかな蝙蝠の魔族に始まり、悪戯好きの不思議な双子、気弱だけど努力家の白ウサギに……優しく、時に暴走気味なウサギのお姉さん。有能だけど変態の猫ときて、威厳溢れる凛とした女王様、そして……この地に住む少し変わった容姿の少年と館長から――目の前の神様に至ったのだ。ヴァーレントに出会ってからここにたどり着くまでの顔ぶれだけでも、本当に凄い面子よね。
「確かに……そうかもしれないわね」
この道中までの感慨深い思いを含めて、相手に分かるよう大きく頷くと。冥王様は満足げな表情を浮かべて、ロールケーキを乗せた皿を手元に引き寄せた。
「だから俺らは呪いじゃなくて、ギフトの気持ちで贈ってるぞ。今後の日常が楽しくなるようにな。呪いと上手く付き合いつつ、人生を楽しめるように努力する……お前がずーっと取り組んできてるのは知ってるし、そのうち意外と丸く収まるかもしれねーぞ? ほら、こいつみたいにな」
冥王様は気のいい調子で、これまた楽しそうに皿の上のスポンジをつんつんとフォークで突いている。
「丸く収まる、ねえ……」
目の前で繰り広げられる動作につられて、あたしの皿にも乗っている同じケーキを一口大に切り分けて口に運んだ。軽い口当たりの生クリームとふわふわのスポンジ、そして苺の酸味が見事に調和したパートナーお手製の品物は……いつもと変わらない美味しさだった。
そして遂に――最後の質問のカードを切ることになったんだけど。
さっきの話を聞いて、尋ねる内容を固めることができた。相手の目を見つめながら、できるだけ真剣な表情を浮かべてゆっくりと質問を口にする。
「じゃあ最後に。……あたしの今の契約の問題点、解決することができると思う?」
「うーん。俺は予知能力なんて持ってねぇぞ?」
応える声音は渋い色を持ち、神妙な顔をしたまま暫くじっとこちらを見つめ返してきたかと思えば――清々しいほどにっこりと笑いかけられた。
「ま、その答えってもう、お前の中にあるんじゃねーの? ハロウィンアリス」
* * * * *
あの後、冥王様との対談を終えて……再び本の世界へ足を踏み入れたところ。たまたま開いたページに興味深い記述が記された本を見つけて――読み進めた勢いのまま、そいつを借りることにした。
不思議なことに、その冊子は一度確認を終えた本棚に仕舞われていた代物で。見落としていたのか、はたまた冥王様の導きなのかは分からないけれど――最後の質問も意味ありげな含みを持たせていた辺り、きっとあの神様は答えを知っていたんだろうと解釈した。
こうして図書館での長い一日を終えて。館内に居た二人に本の貸出し手続きとお礼を伝えた後、建物を後にすることにした。何となく歩きたい気分だったこともあって……夕暮れから夜へ変わりゆく色合いに染まる景色を眺めながら、森の傍の街道をゆっくりと踏みしめる。
ちなみに――何故か数歩後ろには冥王様付きだ。……とは言え、あたしたちに干渉することなく、着かず離れずのペースでただ付いてきているだけなんだけど。
神様が見守ってるっていうのは、物理的なこういうことなのかしら……?
背後にやや緊張感を覚える状態に首を傾げながら、見上げたついでに空の様子を仰ぎ見た。雲の多いこの地域では薄っすらとしか見えないけど――何故か、契約を結んだ日の鮮やかな満月の記憶が脳裏に蘇ってきた。
足を進めながら、今日の収穫をヴァーレントへ伝えてみることにする。
「……手がかり。一つ見つけたわ。契約して長く一緒にいることで、有効距離が伸びる場合があるそうよ」
あたしの情報を静かに聞いていたパートナーも、同じく知り得た情報を話し始めた。
「……私からも一つ、良いことを教えてあげましょう。こちらの本によると、契約者同士の相乗効果で魔力が増大することがあるそうで。時間はかかるようですが――階級の引き上げや魔力の逆転が生じる可能性についても言及されていました」
どうやらヴァーレントも、あたしが冥王様と対談している間に有力な手掛かりを見つけていたようで。同じようにアーズルから借りてきたのか、手元に赤茶色の背表紙が見えた。
あたしたちの話を統合するなら、このまま一緒に行動することで――有効距離が伸びたり、あたしの階級が上がってヴァーレントを追い越す可能性もあるってことになる。契約を結んだ時点から現状まで変わることはなかったから、もう手詰まりかと思っていたけど……今後状況が変わる可能性だって、十分に残されてるってことなのね。
「成る程ね……。どっちも時間はかかるけど、可能性はあるってことは分かったわ」
「ええ。その上で――これからどうするつもりですか?」
出会って決着がついた時と同じように、ヴァーレントは目を開いてこちらを静かに見据えていた。涼し気な表情の中には……あたしの行動を試すような色が感じられる。
「……ここまで足掻いたうえで得られた成果なんだから、あたしとしては当然やるっきゃないわ。それに……あんたも契約解除する気はないんでしょ?」
「そうですね……。有効距離が長くなるのが先か、アリスが私の魔力を越えるのが先か……引き続き、このまま見守らせてもらいましょうか」
相手からの返答は本当、予想通りというか。
出会った当初からこいつの意思の強さは理解していた分、こうなる未来への覚悟は半分できていたようなもの。それに……この手強いパートナーと過ごしていれば、いつかこの状況も打破できそうな気がして。
初めて対峙して、契約を結んだときのことを思い返しながら――大きく息を吸い込み、パートナーの眼前に人差し指を突きつけた。
「契約は続行! 有効距離は何とかして伸ばす! あんたにもいつか魔力で勝つ!呪いを受けてから今までずっと努力してきたんだもの……あたしの粘り強さ、舐めないでよね?」
パートナーは顎に手を当て、やれやれと言ったように肩をすくめた。
「……相変わらず、威勢の良いことで。まあ、私の時間は十分にありますし……易々と負けてあげるつもりはありませんので。この先も覚悟しておいてくださいね?」
にこりと微笑む姿は、ヴァーレントにしては珍しく――これから楽しみだということが、ありありと分かる表情を浮かべていた。
この面倒な体質がなくなることはないし、食えないパートナーも変わらず傍にいる。
日和見主義にはまだなれそうもないけれど……。諦めずに努力を重ねつつ、日々たくさんのおいしいお菓子があれば。
あたしの世界はちょっとずつ、幸せに近づいていくのかもしれない。
有効距離が延びるかどうかは分かりませんが、とりあえず契約続行となりました。さてさて、それを見ていた神様は何を思うのか……。